●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
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髙橋佑理


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絵描き日記
絵描き日記:1889
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2013年12月04日
油絵具のエメラルドグリーンは何故かお洒落で素敵な色だと
思う。私は人物画の肌の色の他に髪の毛にチラリ、頭や肩の
ラインに使う。どうしてかお洒落な色だと思う。
私の油絵はナイフと面相筆で厚塗りをする。そのように
ご指導頂いた。自分でもそれが習慣になっている。。

しかし先日「日展」を見て何時もより先生方の「作品」が渋いの
が多いと思った。私の「絵」はまだまだ未熟で渋くはない。。
ジックリ ジックリ、時間をかけてバックと人物良く塗って・・
葉書サイズの水彩も同じで何度も塗れば味が出る。

今日は一人で千葉の街に出て二人の服を買う。クリスマスプレゼント
のつもりで。。タマにはね。。地方の方へ千葉ピーナッツを送る。
千葉を歩く方々と銀座と、とても違う。私はどちら?気持ちだけは
銀座の人でいたい。近じか銀座へ「絵」をみに行く。




2013年12月03日
家で好きな事をやり 金婚の今、二人の暮らし、家事も
共同にやり、、小康状態の今をいたわる。
調理もわりと手抜きで食卓で座って作り頂く 鉄板焼き、鍋物が楽で良い。
金婚式の食事会は主人は必要ないと言うので。。
嫁が何かお祝いをと気遣ってくれる。本当に有難い。

親類から日頃はお目にかからない、大きな大きな立派な赤、黄色のリンゴを
送って頂いた。これは「絵」になるか?単調な形なのでどう?
構成考えてみる。。
私の近作、2Lで何枚かプリントした、出品作を先生にお見せし
アドバイス頂きたい。以前、先生から「絵」を描ける幸せを大切に。と、、。
又、今日もうちで楽しい事をする。今70*の幸せの一時。
主人は陽ざしをあびて新聞を読み私はH・Pに座る。
 

    

2013年12月02日
もう18年位になるのでしょうか。 うちの初めての嫁とりで
少々緊張もして、、結納の形式は関東風で、関西風のように
半返しではないのだが。ところが主人の奇知でお返しは
五円、(ご縁)にと言った。
五円返すのにあちらのお母様はどの様にしたらと随分
考えられたとの事、その時の嫁の弁でした。
ところがお返し頂いた五円には金銀の水引きを穴に通して結んであり
暖かいお人柄を感じました。長い間、お付き合いをさせて頂きやはり。。
ほんのり 暖かい家庭を築いた今、うちの「長男の嫁」の立場を
継いで貰う。私が大事にしていた五円、
「ご縁」は彼女にもうお返しする。役目ははたしたので。。
大切にして置いて欲しいの。。二人の母の気持ちを。**
2013年12月01日
何時も食卓に座り 前の棚に「新作」を置いて見ながら、考えて
食事をするの。 まずい所を’どうしょうか’と。。。
気付いて、直してH・Pの「絵」を削除、再アップ。
出す「絵」小さくても気になると とてもイヤナの。気が落ち付かないの。
教えて頂いた画法に私の感覚をプラスして楽しむ。
しかし家でこういう事をして今のささやかな幸せ。。

私の思いつきで「絵とつれづれに」の制作をお願いし、
2年半になりました。初めは右往左往でしたが
今の私の家でのライフワークになってとても楽しい。
素敵な私らしいデザインで・・・有難う、ありがとう。。
12月には彼女の「絵」の展示があるとの事。伺って見せて頂く。
H・Pのお礼を言いたいの。頑張っている彼女に会って。**
2013年11月30日
何時だったか。?「嫁」の家に行き、
「お母さん 見ないで下さいね」と冷凍庫をおさえたが、、
今日の私はお買いものに行くつもりが冷凍のものと
あり合わせの野菜で夕食を済ます。。
彼女が教えてくれた「絵」アップ。描いて、アップに今日は夢中で出られない。
息子達は忙しく、二人の「嫁」もそれぞれに忙しいが、相談があれば
メール、電話でお願いする、、若い盛りのシッカリ者の彼女達に。
冷凍品は年寄りの私にも便利な時がある、時代がそうなったの。?

マンションの庭の大きな樅の木に淡いブルーで豪華な
Xmasイルミネーションが今日から暗いお庭に点滅、とても綺麗です。
明日からは師走に。。
2013年11月29日
何だかんだとあり ヤット今日は一人で「日展」行って来る。
とても陽ざしが暖かいが外は冷えるんでしょうか?
思い立った時に行って来る・・
先生方のは前回 拝見したので今日は2階の知人、友人のを見せて頂く。
70*でいくら化粧をしても変わり映えしないのに、
せめて電車の中では膝頭を寄せて、こんな事を考えて仕度をする。
「日展」で何か得られるものがあるでしょうか。。
又、「絵描き日記」に書ければ良いですがね。
     *     *     *
今日、「日展」を見て一階の先生方の「絵」を再度拝見。
ニ階へ行き 親しい「教室」の友人の作品を見せて頂く。
それぞれの価値感、感覚。
私は今、小品でいっているがこんな事を書いて失礼かも?
「教室」で長い間 頑張っている方々それぞれに素晴らしい作品。。

最近、先生から私に教わった事を考え、画法を本物の作品を拝見、良く拝見。
自分の小品にそれをやらねば。。厚塗りで。

暖かいのと時間があったので久しぶり銀座で下りて目の保養を
して来ました。歩く事は良い事で。
クリスマスの飾りの準備が始まっていました。
2013年11月28日

 

 これは古いふるいお話ですが倉敷には旅行には行っても大原家は
何も知らない息子達一族には知って貰いたいので書いて置きます。
倉敷は私の生まれた地で祖父、父、先代が良き時代に暮らした街なのです。
うちの古い資料の中にこの歌集がありました。孫三郎氏の奥さまの
壽恵子氏のアララギ派の歌集、大正末期から昭和の初期の作品ですが
47歳で亡くなる前の歌に棟方志功氏が字と絵を刻んでとても貴重なものです。
50年も前の志功氏の24種の版画がこの様に綺麗に残っているのは
素晴らしい発見で感激しています。。
昭和37年、彼女の33回忌に限定500部作られ ご子息総一郎氏から
贈られたものです。これは主人の父が頂いたものですが 私の祖母も
キット頂いたと思うのです。祖母は壽恵子さんとは倉敷で親しくさせて頂き
アララギ派の歌もご一緒に作っておりました。壽恵子さんは私の祖父の
妹でして、私は良く祖母から思い出話しを聞いて育ちました。  
私の父が早世した時は親しい従兄弟として総一郎氏に随分お世話になり
私達の結婚式にはお忙しい中、総一郎ご夫妻が来て下さいました。
その後、おば様とは年賀状のやり取りでしたが近年倉敷でお亡くなりに
なったとの事。早死にをした私の生母とおない年の生れでした。。
今の世代はお付き合いはないのですがお噂だけは耳にします。

スマホの時代に生きる息子達はどの様に思うのでしょうか??
今、都会に住み仕事をする息子達には全く言っていないので後を継ぐ
立場になるので心得て置いてほしい。
手作りの「木版画」どう思うのだろうか??
2013年11月27日
このところ 家の整理をしている。
ところが日頃 忘れている写真アルバム、頂いた貴重な
お手紙等を目にして、その時の事を思い出すのです。
それを見ると全く以前の事を忘れてはいません。
生母が早く亡くなっても回りのみんなが良くしてくれて
嫁いでも又、、、今も。。家族も。
私の生涯は皆んなのお陰で良いものになって。
懐かしい顔を思い出す。。
そういう方々に愛され 今の私がある、、と今頃、感じている。。
頼れる人には甘え、人には反論出来ない私、只 だんまりでして。
おばちゃんっ子の典型。今の私の成り立ち。
今でもそんな私はマワリに良くして頂くの。
その思いを「絵描き日記」で書いて発信しているが。
チョットお恥ずかしいけれど今はそれが幸せなの**
「絵」を描けるのも幸せ、「教室」に行ってご指導頂けるのも。。
2013年11月25日
老人が顔を何時もいつも付き合わせて暮らしていると
どうしても下らない事で言い合い、両方とも我を
張ってしまう時がある。私が折れりゃあよいのかも??
そうはいかないのが金婚の。。仲。
私は地元にお買い物に逃げ出す。結局私が折れる事になるが。
腰の加減が何とかの量の食材を買い、どら焼きを二つ買う。
ユックリ、ショッピングカートを引いて帰る。
それだけでも気分転換になる。
お皿を洗ってくれたり ごみだしは有難いのだけど。。
夕方から 雨とか、まだ降らない、どんよりの空。。

どんよりの所におば様方の服装もドンヨリ色が多い。
少しでも明るい色を着たい。。 外国人みたいにカラフルとは
いかなくても・・・年を重ねると服、それだけで気持ちが明るくなると思うが。
立ち疲れすると自分のH・Pに座る。繰り見ると楽しい。**
2013年11月25日
かなり前、弟が実家のアルバムを整理した時、
私に関した古い写真をくれていた。勿論 私が知らない時の
生れる前の色々の写真。その中の一枚。
生母のポートレート、少しはすに向いてセーター姿で
微笑んでいる昭和10年3月「ほほえみの中に」と母が記していたとの事。
娘時代の夢多き頃の無垢な微笑み。。彼女は短命だった。
その頃の優しい弟を感じる。
今、私は彼に実家の後添えの母が送って
くれていた実家伝来の古いものを彼に送る荷を出す。。
古い実家にはお互い懐かしい物があるのか、この年代になり大事に思う。。
もう古い人はいない。物だけだがお互い譲り合う。。
未だ、お元気な80代後半の二人の叔母を大事にしたい。

2013年11月24日
昨夜、私の画室の古いものを整理していてズット以前からの
私が良いと思って仕舞っていた資料が沢山出てきた。
しかし「絵」の価値観というものは時代を経ると変わるのですね。
今の私は「教室」の先生方の「絵」に一筋、ご指導が身についているの。
故郷の先輩の先生がご紹介下さった先生なのです。
故郷の先生には私はズット頼り それに答えて下さり東光会の先生方を
その時どきでご紹介して下さいました。
古いものを整理していて古い古い手紙を見つけた。
私が長男を出産の後、「日展」に初入選をした時、随分喜んで下さった故郷の
ご夫妻からのお祝いのお手紙。森田先生をご紹介下さってご指導頂いた80号。
私は子育てでもう「絵」等は描けないと思い・・頑張ったのでした。。
社宅の狭い台所にテーブル、その上にモデルを置いて描いて。。
予想どうり10年間育児ブランク、ブラジル住まい、帰国後は受験。。
20年の後 又、お願いし東光会洋画研究所へ、再度東光展に出品する。
一生付きまとう私でしたが故郷の先生は今の先生にご紹介下さり。。
ご指導、ここで11月で15年になる。
48年も前の暖かいご夫妻のお手紙、読み返して感激。。した。
ずっとお世話になって・・・ 今の私でお手紙を書きたいと思う。(*^。^*)

2013年11月22日
今日は私の誕生日です。 自分の誕生日といっても
主婦は自分のためにご馳走を作るではなく
「嫁」達からプレゼント等を頂くくらいで。
自分の誕生日は特に覚えている事もない。


只、一回古いアルバムに写真があるので覚えているのは
私が6年生の誕生日。
父が5月5日亡くなってその後の11月の今日のこの日、。、
祖母は私の為に手作りの洋風のご馳走?をつくり祝ってくれた。
父が亡くなった後 2千坪の広い松林や芝生の庭がある
大阪郊外の家だったので、女のみでは物騒だと丁度、隣にあった、
警察の方の寮にお願いして一人の方にお茶室に住んで頂いていた。
祖母がお茶の来客を楽しんだ小さな茶室なのだが。。
隣の寮との垣根の植木を少し取り除いてすぐに出入りできる様にして。
日頃はお仕事でお会いする事もなかったが祖母は私の誕生日に
お招きした。詳しくは覚えていないがその方が撮って下さった写真で
今でも思い出す事ができる。
祖母も母も微笑んで、、。ゆったりのひと時。父亡き後。。
何だか60年前のユッタリした人の心の暖かさを思い出す、その写真で。。


今日、後添えの母の妹、昔世話になった叔母から葉書がくる。。
お誕生日おめでとう、と。
80代後半の一人暮らしの、、私もどうされているか気にしていたが
どうしても筆不精でご無沙汰になっていた。
彼女は紅葉の季節に写生でもしていますか??と。
イヤイヤ、私はそれどころではないが。。「絵」を見せて下さいと書いてあるので
私の近作の写真と葉書サイズの水彩でも送ろうか?と気付く。。

2013年11月21日
私は早朝、目覚めて衣服を整えたら先ずP・Cに座るのが楽しみです。
前日アップしたのを確認しアクセス数、ページビュウの数を
開けてみます。
私が何か新しくアップすると特にページビュウが伸びるのです。
どなたが見て下さるのか?特に何のメールもないし 
只 数だけのご反応。。 もうすぐに6万のアクセス数になるの。
私はとくに小品の発表はもうしないので地元にお願いして
小さな「油絵」と葉書サイズの「水彩画」を取りかえて掛けさせて
頂いています。
しかし人様に見て頂くという事になると半端な「絵」は出せないので
結構私の張りになるのです。
知人からは見ましたよ・・とのお言葉を頂くし。。小さな「絵」でも何も
描いて居ないよりはマシなの。
私の「絵」を見て下さって教えて欲しいとの事を言われる方がある。
お断りするのですが昨日は沢山の私の「絵」を並べて下さっている
P・Cスクールの先生からお電話。大変お世話になっているし近いので
その方にお会いする事になったが。
私はご指導頂いている先生方の「画集」を持っていき
画法など話してみたい。 それが私の「絵」の原点なので。。
2013年11月20日
私は人より変わり者なのだろうか?
一昨日、昨日は主人と出掛け「絵」を全くさわっていない。
昨夜、床に入り、枕元に沢山置いている美術雑誌を久しぶりに
繰り見た。何時もは置いているだけで疲れて、見る事も少ないのに。。
昼間夢中で「絵」を描くという事は知らぬうちに気力を使い
疲れて本を繰り見るどころではなかったのか。。
昨夜は意外と気持ちが余裕だった。
先生や友人の作品が出ている所を見る。今の私の興味の「絵」は
そればかりで。。
ズット、ずっと以前の私の未熟な「絵」を取り上げて下さった別の雑誌を
出して来てこのH・Pにアップ、記録してみようと気付く。
うまく出来るかどうか、「絵」を描かずこんな事を考える。。
2013年11月19日
うちの本棚には有名、著名な画家の画集が沢山あるので
どなたかに差し上げる事を考えていたが。。。
私は現在は、ご指導頂いている「先生」に出会いその画法で描くようになり
以前に集めた「画集」は全く見ていない。
それらの「画集」は先生に出会う前に、あれこれ「絵」に迷い
展覧会に行っては買ったのや海外の英語やポルトガル語の字がある
画集など。
しかしやはり 捨てたり人様に差し上げるのはチョット考えて見る事に。
例えば私達が年老いて「絵」を描かなくなった時に絵本のように
繰り見るかもしれない。。
昔、「絵」を描いていたのでキットそうなる。その後に処分しても良いのだ。

2013年11月19日
カサブランカがまだ綺麗で水彩にでも描けるのだが
今日はそれを止めて、主人と出掛ける事に。
地元以外は一緒に出掛ける事を望む彼。
年を重ねて何かハプニングがある事を心配、気にしている。
もう70*の二人、、お互いに助け助けられの今の生活になる。
金婚式が近く、嫁が気遣ってくれる。。が主人は皆で集まる気にも
ならないらしい。
そっとの二人の暮らしが良いみたい、。
すこし若い私は思った事をズバリと言うがそれが長年連れ添った者
には良いみたい。
うちには独身息子もいるが将来そんな相手が出来る事が良いと思う。
人生の先は解からない。お互いどの様になるか。私達も・・?
気も弱くなったが助け会い、何とか暮らしをして、日々を送って居る。
それは幸せというものか?
ご近所には色々なケースもあり、古いマンションのお知り合いの方々には。
年を重ねるとお気の毒な方もしかしマンション生活では立ち入らず
会釈だけで気遣う。

千葉の古い街を見て来たがやはり 今のここの古いがチャンと計画された
埋立地の街が慣れて便利なのが良いと思った。
しかしこれから 老人になっていくのでうちの中の構造は?不便と感じる。



2013年11月18日
かねてより行こういこうと思っていた「日展」へ主人と行って
来ました。。
毎年拝見する先生方のそれぞれの作品、私の会の
知っている先生方の、又、他の会の「絵」のみで見なれた先生方の作品
入選作の知人の作品、多くの皆様の一生を「大作」にかけられた情熱
頭が下がります。その裏には今年惜しくも落選された方も沢山居られる。
とくに今迄それ程は感じなかったが凄い団体、「日展」を感じました。
存知上げている我が会の先生方、今年の作品は一味違い渋い作品も。
いつもと異なる驚きの作品、毎回、同じような作品ではない。
上には上が皆んな一生懸命の命をかけたご努力の作品が。
足腰と相談して拝見して帰りましたがもう一度行って見たい。
まだまだ12月8日迄あるので。

2013年11月17日
本棚を見ていて忘れていたデッサン画集を見つけた。
私の「先生」が尊敬されている昔の「偉い先生」の黒クレパスの
デッサン画集だった。
繰り見ていると 晩年パリに写生に行かれた時のデッサンと文、
22年前のものだが私もそれを持っている事をスッカリ忘れていた。
私が現在「先生」にご指導頂く様になる かなり前の画集だが
その頃 私はこの偉い先生の作品に憧れと興味を持っていた。
だから デッサン展に伺い このデッサン集を持っていると思う。

現在、私は「先生」に気軽にご指導を受け、そのデッサン展があった
ギャラリイで3年前私の個展をさせて頂き、そこへ伺えば
オーナーご夫妻は親しく対応して下さる。
年月を経ても 私は先人からの良い流れの先生方の下で「絵」を
学び描いていると気付く。。良い出会いの下で。。
その後を継がれている「先生」から 先人のお偉い先生にも
私は親しみを感じる。。「偉い先生」の油絵の分厚い画集も持っている。
今日こそ、先生方の「日展」にようやく行って見る。。
この先生方は「日展」の偉い方々なので。
2013年11月16日
昔、「絵」の先輩から、私は古い所と新しいところがあると
奥様に言われたそうだ。、、と聞いた。
若い私は全く気付いていなかったが。。
この様に自分のブログを書いていて今 自分でも感じる事も。
それは古い家に育ち 新しい事もして。。..
そんな昔はH・Pで自分の思いを自由に表すとは思わなかった。
それで昔の事も書く事になる。
今、私は若手が好きなのはそういう事かな・・

実家の昔の事は息子達には話していない。
知って貰うべきか。。もう・・・
しかし時代が違うか?
2013年11月15日
私は昨年のお正月、いや近年のおせちも手抜きになり
かと言って既成のものは買いたくはない。自分のが良い。
手の込んだうちのブリのお雑煮は大人数には作るのもうやめると
私は宣言していた。立って沢山の野菜切りやると腰がきついので。
お正月は毎年、息子達、嫁達、孫たちも 新年の挨拶に
来てくれるのだが、主人の父、母も加わっていた時もあり 
大家族の主婦を随分やった。。。
もうこの辺で二人ユックリした新年を迎えたい。

それで嫁達にお屠蘇用品を使って貰えるかと連絡して見た。
うちには小ぶりの実家の祖母から貰っているのがあるので。
彼女達はご両人共、昨年安く買ったとの事。プラスチックだともいう。
若い人達は年始にのみ使う物はそれで良いのかと初めて知った。
私達がブラジル帰国当時 私は日本の新年にはどうしてもないと
ダメだと思い高かったが塗りのを一生懸命に買ったのを覚えている。

 


こういう事を考えていると、、私の子供の頃のお正月を思い出す。
広い畳の座敷にそれぞれに装い身を整え 父を上座に
祖母、姉、私、弟達、母は末席にいて弟達の世話、 控えめな母だった、
60年も前の事なのです。
黒塗りの御膳にそれぞれにぶりのお雑煮とその他は覚えてはいないが
かずのこ、黒豆、おなます位だったか?
父が家長で順々に少し控えめな母まで・・・そんな昔の一家だった。
その時の雑煮椀 私が持っているが、この際、弟に一部送る。
古いものへの思い出、この年代の価値観か・・な。?
当時の家族の事も思いだす。


嫁達の、今の時代の判断は当然の事なのかなあ~
 時代と共に価値観も変わる。
お屠蘇を祝うという気持ちだけでも良い。かと思う。。
 
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