●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
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髙橋佑理


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絵描き日記
絵描き日記:1889
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2025年06月16日
週末に来てくれた息子達は今忙しくているだろうが。。





2025年06月02日
何時も日曜日は息子と一緒にスーパーマーケットお買物に行くのですが。

昨日はココファンの裏庭にブルーの紫陽花が沢山に咲くのを見つけた。





















私の実家の裏庭にもあった同じ様なブルーの紫陽花を思い出す。












恩師のウエブページを拝見すると素晴らしい紫陽花があります。

これにリンクされているので拝見して下さいね。。

私も又、紫陽花を描いてみたい。


一番上のお作品は恩師の奥様先生のお作品です。

2025年05月23日
先頃、私がお世話になった整形病院のリハビリ施設に日を過ごして絵の展示お願していたが。

次男からスマホで壁に掛けて下さった。写真の送信が。。







後一点は額を用意してからという事で二点が壁に掛けて下さっていて。

そして今 お兄ちゃんのラインに私は送信。まだこの部屋にある油絵等々で

又、お願いして。みたい。


人物画作品が多いが。静物画もある。。

修正しています。又、ついでの時に次男に持って行って貰います。が。

しかしモデルは今ここにはないのでこわす可能性がある。



一番上のお作品は恩師のお作品です。
2025年05月16日

朝食後、へやに送って頂いてベッドでそのままに寝っ転がって気がついたら

昼食お迎えが来て。蒸し暑い昼間はなんだかお任せの暮しています。

自分の絵を描いて。。眺めているのみの私なのですが。。

何とか暮らしています。

好きな絵を描いて80歳過ぎの暮らしをこの部屋で・・・



好きな絵を描いて眺めてお直しをしたり そんな暮らしをしています。

それしかない私ですが。恩師との出会いは素晴らしかった。

教えて頂いた「絵」を描いて小さい絵を。









これも何かのご縁ですね。















この部屋で楽しんでいます。絵描日記にアップしてみて。



額入りのひまわりのお作品は恩師のお作品です。ご立派な。。




2025年05月05日
彼らは今、みんな50代、世の中に一生懸命に生きているが。

お父さんはもういないが彼らはそれぞれの生き方をしています。嫁達も良くしてくれる。

今の私は絵を描いてこの部屋で自由に暮らす。息子達にも良くされ。






終わりの頃の人生を「絵」を描いています。マダマダ。それしかない私で。


デイサービスで展示お願いして。。








上の3点はハガキサイズマット額に入れました。


「10号の絵」を直すことを考えるのに車椅子でできるように背の高いイーゼル

を取り寄せてここで組み立ててくれた。三男が。彼は優しい。

それに応える。。ことに。







  
管理画面に私の絵を入れてくれるのはお兄ちゃん。。写真に撮って・・・









2025年04月07日
ココファン自分の部屋に。。そしてまたお世話になっております。

以前からの所長様や介護士さんに又、お世話になっております。


ここのお年寄りともご一緒にお食事を頂いたり 介護士さんにも再度お世話になっております。

 




私の以前の「絵」を少々直していますのでお久しぶりにアップしてみますね。















これらは以前の私の作品です。が次男が勤める整形病院の隣のリハビリ施設でお世話になって

絵を絵を持って行く事を約束をしたのですが。。

退院の時に孫を描いたP30号 「はたち」の絵は持って行きまして展示してくださいました。

その後の作品を持って行く約束もして。

今までの絵は今、再度直しております。


ココファンの私の部屋で。テレビの歌を後ろに。。。お陰で元気になりました。


これらは以前の私の絵ですがこの管理画面にある。

アトリエ佐藤教室でご指導頂き描きました。風景画もご一緒に。

ご指導頂き描きました。

人物画は孫達に来て貰いモデルをしてくれました。。

その絵は勿論、恩師のご指導頂きました。










恩師にご指導頂き描きました。


今ではココファンのデイサービスの壁に掛けて頂いているのは自分なりの水彩画ですが。


長い間、恩師にはご指導頂きました。

この部屋にある私の以前の油絵は整形病院のリハビリ施設に持って行くつもりです。

次男についでの時に。。


2024年07月10日



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初めの二点は素晴らしい恩師のお作品です。この部屋のパソコンの管理画面にある。。


やっと 元気になって。。再度修正して私の以前の作品をアップしてみたいと思います。









2024年06月12日












上のは管理画面にある私の以前の作品です。


今日は友人から頂いたバラを描こうと思います、すぐにはこれに

アップは出来ないと思いますが次のデイサービスには持って行きます。

恩師との出会いは素晴らしかった。良く学んだ。ひつこい質問をして。

その資料はこの部屋にあります。


今でもお手紙をすれば恩師の絵葉書でお返事を頂き絵を描くことにおススメのひと事

を頂きます。

東光会員としてくっついている事を「良い」と仰ってそのままになっています。







一番上のお作品は恩師のお作品です。。こんな絵を描かれた時代もありました。






この絵はアトリエ佐藤教室でお直して頂いた私の以前の作品です。

ご立派なお立場になられても弟子にチャンとお励ましの絵葉書を頂きます。奥様先生と。





ご夫妻のお作品です。
2024年05月25日
ベランダのバラを描こうと思ったけどどうも上手くいかない。その一点は

やめた方がよい。ピンクの花ばかりで絵にして何の変化がないので。。


カサブランカはチャンとデッサンしているのでゆっくりと描けば良いと思います。

小さい水彩画といえども色々悩む。わたしです。

以前のように小さいカットでも良いと思います。

年を重ねて。スマホで繰り見て以前の私の「絵」のような。










一番上のお作品は恩師のお作品です。


ココファンの自立棟の壁はツルツルの固い壁になってデイサービスの壁に掛けて頂く。

F6号の水彩額に静物画を入れて掛けて頂いていますが。



玄関には小さい水彩画、を3点置いて下さっています。紫陽花を。

私も好きな絵を描いて持って行くことに喜びを持っています。








2024年05月18日
長い間、お世話になったお医者様です、。そして 私が元気な、秘訣です。

お世話になってそれが今、絵を描くことにも元気になっています。

又、恩師からの励ましの絵葉書を頂く事も 良い刺激を頂いております。

東光展小品コンクールに出品をオススメ下さいます。が上野まで家族に連れていって

貰うのは大変かと思うので東光展のHPで先生方のお作品を拝見させて頂き

それで良いです。


診察では「絵」を描く事の私の話をその気で聞いて下さいます。




この絵はF6号の水彩画です。額に入れてここのデイサービスの壁に掛けて


頂いています。


葉書絵でマット額ばかり展示お願いしていた私ですが。


ボツボツですが又、描いてお願いしたいとカサブランカ、ピンクの花に


チャレンジしています。









今年も咲き始めた紫陽花とバラです。




上手く描ければここにアッフ。します。



上のお作品は奥様先生のお作品です。














これらは以前の孫達を描いて修正再アップです。

二人共に20代自分の道を歩いています。

2024年05月11日
母の日のプレゼントお花が二つ届きました。丁度、来ていた一人の嫁が箱から出して

テーブルの上に並べてくれました。

明日、日曜日は一人でいたいと言う息子が私の買い物をして来てくれます。キット彼は

花を見て驚くことでしょう。丁度、花でも描きたいと思っていた時に静物画の後に。。


一つはアレンジメントの色々な花で。

もう一つは私が以前言っていたブルーの紫陽花です。











私の子供時代は赤いカーネイション、、白いカーネイション一本を贈る時代でした。





私はこの花達を上手く「絵」にしたい。。このままではなく絵のモデルとして

セットして描くことに。


ここに来た嫁は私が以前、普通のブルーの紫陽花を欲しがっていたとの事でそれを

見つけて大きな鉢を持ってきてくれました。

これは今日来る三男にベランダに出して貰う。

花があれば絵を描くことを考える。私です。

上手く描けるかどうか解りませんがしばらくの間これらで楽しめます。一人の部屋で。

枕元に置いている恩師からの資料や画集を参考にして。今、私は水彩画です。が。

描いて。。みたい。



















上のお作品は恩師の大作、お作品です。


2024年05月03日
以前の私の友人から 頂いていたフジコ・ヘミングさんのピアノ曲を思い出す。

この部屋に持って来ているはず。探してみる。昨日のニュースを聞いて亡くなった事を

知った。92歳かであった事も。ここのお年寄りもそんなご高齢でものんびりした暮らしを

され92歳くらいでもお元気な方も多い。。

演奏活動に随分と頑張ってこられたのだろう。。苦労もされ。

私は早速、そのCDを出してお久しぶりに聴いてみた。

その友人とも今は連絡はとれないが東光展出品仲間でした。


アトリエ佐藤教室での友人ではないが。お久しぶりに聞く解り易いピアノ曲も良いものだ。













母は家に古いピアノがあったので姉と私をピアノの先生の所に連れていってくれたが

私はヤッパリ気が乗らず「絵」を描くのが好きだった。。






上のお写真は恩師から頂いた薔薇の版画作品です。

2024年04月24日
戦争が終わり帰りに、ひろしまの原爆跡地を汽車が止まって歩いて帰ったと言う父は・・・

帰って新しい母と再婚、弟が生まれて幸せな暮らしをしたのですが。

大阪、東京へ行き家族の為に働いた父親、私は今迄深く考えたことはなかったが

スマホで繰り見ていて、考える。うちの息子達に残しておきたいと思い。。

父親の名前は検索できても今の若い人の同じお名前の方の顔が出る。同姓同名の。

更に検索すると父の事は出てはないがその時の会社は今も大企業のようです。

父親はそこの大阪工場長で会社からの迎えの車が来て姉の女学校と私の小学校へ

途中に降ろしてくれました。

弟の幼稚園にも。。忙しい 父は3人を気遣ってくれたのか。。


帰りが遅かったり あまり父と接することが少なかった。忙しい父、

たまの休日には母が食事に呼んで来てくるように私に言ったらそ~と応接間を覗いて

一人でクラシック音楽を聴く父に言った。






私が6年生の春、叔父、叔母一族が集まって満開の桜の大きな木の前で一族皆で写真を撮って。

子供の私は事情は知らなかったのですが鯉のぼりが泳ぐ5月に亡くなったのです。

5月5日子供の日に。広い敷地の家にみんな家族を呼んで暮らしていた時に。。


後に母は田中千代先生の洋裁学校、専攻科迄勉強して。。千代先生の御配慮で寮の舎監として

弟二人も一緒に暮らしました。

優しい母でした。姉と私の服を縫ってくれたり夏休みには行きました。その寮へ。






弟二人はマダマダ小さかったが苦労して育てた。田中先生の学生たちの寮でお世話して。


それから 70年、、私も高齢になりましたが父の名前はありませんがその時の会社は検索

するとありました。父の名前もなく時代も変わりました。お聞きしたことがある創設者の

お名前は今は世界的な大企業のようです。

私の主人と同じ大学でしたが彼の半分の命でした。父は。

眼科医の叔父はお互いに絵を描くことが共通点で私を理解してくれて。可愛がってくれた。

叔母共々良くされた。









今 うちの、一族もみんな頑張っているがその42歳で力尽きたお爺ちゃんの事も伝えたい。

このブログも見て欲しい。

父が残した株で育てられた。。私達。質素でしたが。人間国宝、浜田庄司氏の角型の壺を父は

祖母にお礼に贈った。




父が私を育てたお礼に祖母に贈ったとの事で。二度目の母がそれを送ってくれた。

ここの大きな机の上にあります。

上の写真は只、一人の女性孫のバレー姿です。今、ドイツ留学中です。

今は大人になって自分の意志でドイツ留学をしています。

10代の頃はモデルに来てくれました。ココファンのお父さんと私の部屋へ何度も。





おばあちゃん子であった私ですが。祖母は私を育てた、ずっと。嫁に出すまで。。

2024年04月21日
すっかり忘れておりましたが当時の同級生で「同窓会会長」だった方が

佐藤恩師の「倉敷個展」を見に来て下さって私に「絵」を寄贈してください。と仰り

お送りしたことを思い出す。

現在の同窓会会長は変わっていますが。スマホで会館を繰り見れば私の絵らしいのが

棚の上にありました。

管理画面にはあるかどうかを三男に繰り見て貰う。



ありました。この薔薇の絵です。

アトリエ佐藤教室で描いたものかと思うのですが。。

その女子学園は古い私立の、中、高校の学園でしたが現在では男女共学で結構レベルの高い

学校のようです。スマホでみると。

恩師の倉敷個展の時に当時の同級生が岡山から来て下さってその時の同窓会会長さんが

私に「絵」を寄付を仰り 今でも飾って下さっているのです。遠くの棚の上に見える。

今風の新しい会館に。。

上のバラは私の絵、水彩です。

2024年04月14日
三男が電話して私に買い物をして来てくれる。日ですが。

お兄ちゃん夫妻も来る??かな?


再度 次男がEテレにでるという。


嫁が喜んでみんなに言ってくれと言う。2回目ですが。同じテーマかどうか??

NHKテキスト・・・「きょうの健康」 4月号にもあります。

44ページ・・・「足底腱膜炎」プロの医者が話すことで私には良く解りませんが。



ブラジルサンパウロから帰国する時、お父さんは家族でヨーロッパ回りで帰り

トレドの泉へも寄った。上の写真はその時のものです。

お父さんは息子達を引っ張り育てた。






尚、この記事は4月23日、正午から12時15分に再放送があります。

真面目な顔で話しています。船橋整形外科病院の二人で。。




2024年03月31日
昨日はお兄ちゃん夫妻と四男が呼び合って私が知らないうちに連絡をとって

その近くに住む所から一緒にレストランに寄って昼食をとりました。

待ち時間があったので嫁は私を車椅子で押してくれ 春の公園へ連れていってくれました。

桜はまだのようでしたが、今日の暖かさで咲いてきたかと思います。

今日、来た三男は昨日買った花の苗を植えるの手伝ってくれる。

鉢花も切ってカットに描くのも良いかと思います。















上のお作品は恩師のお作品です。個展お疲れ様です。

2024年03月26日
暖かい食堂から夕食に呼ばれ一Fへ下りていく皆で賑やかにお食事を頂く。

介護士さんにお世話になってお食事を頂く。今の私は有り難い暮らしをしています。










子供たちを何かにつけて両親に預かって頂いたが、両親を関西から私達のマンションの近くに

お呼びして通ってお世話した事もありました。まだ仕事をしていたお父さんは夜に両親の

所に帰り、バトンタッチで。

そういう時代もありました。昼間は私は両親と散歩に行っり。近くで買い物をしたりで。

今、思い出すと「散歩」と言う、大作を、お爺ちゃんをモデルにして出品した事がある。

上野へ行って見て下さったお爺ちゃんは随分と喜んで下さった。事を思い出す。

佐藤恩師ご指導頂く前に写真で描いた。それはダメなんですが。

そして、良いお手伝いの方が見つかり、両親をお願いして池袋の東光会研究所へ行った。

夕方まで六時迄お願いして。

その他の出品作品は忘れましたが何だか大作で出品したようです。みんな。。

恩師にご指導頂く前に。恩師の発想で出来た中の30号部門、、私は良く出品しました。

30号部門がない頃で。大作で何年か大作で出品しました。






今、ここの玄関には泰西名画が二点掛けられていますが。

遠近のない立った絵をとずっとご指導頂きました私はどうも気になる。遠近が。

それを見て。恩師の作品写真を掛けたいと思う。私です。が・・・

上の四角い大作は恩師のお作品です。 ブルーノート。
2024年03月23日
今、水彩画6号、2点描いていますがこのおんとしでは頭が疲れる、夢中になると。















若い頃の油絵時代よりも今は考えていても中々描き進みませんが。。。









一番上のお作品は恩師のお作品です。

私はこの部屋で絵を描く時にはスマホで千春さんの歌を聴きながら描きます。

疲れたら、寝っ転がって、やはり聴く。彼は好きな歌を歌い続けて**いる。

私も大好きな「絵」を描く事を考えています。
















2024年03月15日
東光会洋画研究所へ行きながら、少し 絵に迷っていた時に佐藤恩師のコスモスの大作、

東光展、第一室に掛けられていた作品に出合い、ご指導頂たいと思いました。

直ぐに受け入れて下さって日取りをお教え下さいました。

それから、25~6年アトリエ佐藤教室で学びました。

恩師の画集を拝見してそれまでの人物画作品は私は存じませんでしたが。。

日展作品で素晴らしい人物画作品大作が画集にあります。。何点か。

コスモスの大作に出合い初めてご指導頂きたいと思いました。




この上のはアトリエ佐藤教室で私の絵に修正、ナイフを入れて下さったものです。

立った絵をと。


恩師は私に壁を取材して描くように仰り 壁を描いた時期があったのです。立った絵と。。
























アトリエでは当時、みんなにモデルをしてくださいました。みんな元気で若かった。




今でもお便りすれば恩師の絵葉書ではお返事を頂きます。絵の事を書いて下さって。。。

ココファンに来て奥様先生と共に通信教育でご指導頂きました。資料を送り。。







上のポスターの絵の後、黒い肌の方々を描かれ。。ました。

現在は自画像でしょうか? 出品作品は。

今、故郷の大分で恩師の個展が始まっています。案内状は日展作品の自画像ですかと。

私にとって素晴らしい恩師の個展です。80歳の個展の案内状。

これにリンクされている佐藤恩師のHPを拝見して下さいね。。

私は伺うことは出来ませんが。その案内状はこの部屋に額に入れておきます。





2024年03月06日










しかし、82歳の私は昼寝をしたり 自由な時間を過ごしています。

考えることは絵の事ばかりで。考えるだけで筆は進みませんが・・・











一番上のは私が描いた孫です。P30号、「はたち」

彼はスマホ会社に就職して私に一台くれているので右往左往で繰り見ています。

この「絵描日記」もベッドで繰り見ています。



お父さんがいる頃、ココフアン西船へモデルに来てくれました。

もう、1点、F6号がこの部屋にありますがまだアップしていません。





人物画作品は恩師にご指導頂き右往左往でしたが:::




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