●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
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髙橋佑理


ホーム絵描き日記2011年11月
2011年11月
絵描き日記:3
2011年11月24日
私は叔母が大好きです。親世代で只一人元気でいてくれる叔父の連れ合いの叔母。彼女は子供がないので私達には良くしてくれた。きっと、絵を描く者同志私が特に気が合うと思う。先日の電話で気の弱い事を言っていたが、気の許せる私だからかと。
立派な後継の医者夫妻のサポートのもとに生活しているのだが。
私には絵を描く者として本音の弱みが言えるのか?
私は若い頃から随分世話になった。

叔父没後、4年半前、叔母の企画で田舎の古い自宅で叔父の洋画と叔母の日本画の二人展、皆さまのお助けもあり、成功させました。

何かにつけお洒落な服を送ってくれたり、又サイズが同じなのでお腹回りのユッタリのお古も。彼女のセンス私は喜んで頂く。

いらないと言うが、ちょっとひつこいかも知れないが「日展」の画集を送ろうと買ってきた。何時までも絵のお喋りがしたいと思う。
2011年11月05日
私が四才の時、父の後添えとして嫁いできた母は「おばあちゃん、ピッタリでいた」私にはソット、優しい母でした。父の仕事のため私は一緒に住む事が少なかったのですが、やっと大阪郊外で家族七人大家族で暮らせるようになりました。所が、何年かして父が亡くなり、母は重役夫人から、一変、二人の幼い弟達を育てるため、働く女性にならなければならなかったのです。
未亡人だからと化粧もやめ地味な服に変え生きたのでした。
その後、田中千代先生の学校で、正式に洋裁を学び千代先生のご配慮で女子寮の舎監として子連れで住み込み学生さんの、お世話をしました。

子供が思春期になったからと岡山へ帰り親族の関連の、会社の保育園の園長として毎朝、バスで通い頑張ったのです。母の妹の方の助けを頂きました。

定年後は90才過ぎで亡くなる迄、岡山の山の下の家でユックリ暮らしていました。
私共夫婦が毎年秋訪ねて行くのを楽しみにして、一緒にゆっくり墓参りに行きました。それを楽しみにしていました。
実直で、まじめに生きた母でした。私には微笑みの母、優しい母でした。
2011年11月02日



100年前の11月3日は実の父の生まれた日です。私が12才のときに早死にをしましたが、私の頭には42歳のその姿のままに思い出されます。
私達姉妹が嫁に出るまで裕福とは言えませんが、何不自由もなく、祖母のお陰で教育もされ
幸せな結婚に至りました。祖母は自慢の息子の早世を何時も悔やんでいました。

「私は世間を知らない。」という主人ですが、子育てに苦労もし、現在は「絵」を描く事を中心の今、その関係の方がたとのお付き合いお話することがとても楽しいと思います。


午後は東光会の先生の個展に行ってきました。先生の風景画が、水彩と油彩で40数点、見事に並びやわらかい色合いで素晴らしかったです。優しい先生なのでつい私は親しげな話をしてしまう。何時もの事乍ら、失礼しました。
その足で親しいギャラリーへ寄り、オーナーとも話してきました。

私は銀座でこの二つの画廊が自分もさせて頂いて、なんだか故郷の様に思います。
今日はお久しぶりでした。

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