●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
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髙橋佑理


ホーム絵描き日記2012年1月
2012年1月
絵描き日記:5
2012年01月29日
地震情報で「富士宮」の地名が・・・こう言う事で思い出すとは遺憾だが。私共家族は主人の仕事の為、冬を除いて8カ月ほど、富士宮に住んでいた事があった。
乳母車を押し二人のおさなごを連れ、当時,、畑が多くあり、雪解け水の冷たい川に沿った
家にのんびり住んだ。
勿論、絵など描ける訳はない状態だが、目の前に広がる大きな富士。絵に描いて見たいと思った。しかし、どの様に描いて良いかも、わからなかった。単純すぎて美しすぎて。
休日に2合目あたりまで、おにぎりを持ち車で登るのみに終わった。


先生は素晴らしい「富士」の絵をお描きになり、様々、色々、大小、沢山に。
見せて頂けるのです。

予想もしなかった光栄な、出会い***!
永く生きていると不思議なめぐりあいがある。
2012年01月19日
この年始に母親と帰国した二人の男子孫。お久しぶり、ユックリ過ごしたのだが小中学生に、なり、、ちいさい時の大変なママも卒業。幼い頃は人より可愛がって子育てをしていたママ、今になりそれが子供達に表れ、気持ちが穏やかで、安定、優しい少年達に育っています。
是から、受験期になる迄、日本に慣れ、頑張って下さいね。

さすが、長男一家、誰ともなく言い、仏壇の前で正座して四人で長い間、手をあわせる。
父親・母親、海外へ行く前とは又、息子達に対する接し方が違う。孫達は成長したものだ。

私の子育ては四人で随分、賑やかだったがやはり、男ばかりだったので主人が取り仕切り、居ないときは長男に任せた。
『ママを大事にせえよ~~』  と主人。大事にされたかどうかは覚えてはいないが・・・
現在は息子達、夫妻が私達を大事にしてくれる。
世代も変わる。
2012年01月13日
新年早々、家族を帰国させ、住まいを整え帰って行った息子。又、赴任の時と同様に一人
ぐらしになった。私の絵の資料渡し、週末にはアップしてくれると言う。そういう息子がいてくれると私も描くのに精が出る。

彼は自分が主人から言われブラジルからの帰国子女で帰国。公立中・高を経て一浪の末、結構良い国立大へはいった。その浪人たるや、一流予備校の一流コースへはいれたが主人は行かせず、 「家で自分でやれ」と。・・・主人、自分の経験から。

 回りの雰囲気を知るために予備校の単科講習にはいかせた。   「宅浪」で現役の時は彼にとってウンとウンとレベルの高い所を受けさせ回りの皆の雰囲気をつかませた。
一浪の末、入学出来たのはそれよりも、もっともっと上の国立大だった。
本人の努力は絶大なものであったが私は彼のやった結果と男親のリードは凄いと思った。
息子は自分の息子にも同じ様にさせる積りで、今、帰したと思う。丁度、同じ中2の1月である。日本の中学へ入り、早速サッカーの朝連に行っているみたいだ。自分がされたそういう価値観を継ぐ息子、早く辞令が出て家族一緒に暮らせるように願う。

男の子は父親の教育次第で頑張れる。厳しい社会を生きて行くのだから女親ではダメだ
と思う。

弟達も同じ様に。。。。生き方は様々だが。   真冬のセンター試験の時期に思う。
2012年01月09日
昨日は「佐藤教室」毎年恒例の新年会でした。先生の講義、それぞれの自己紹介の後、用意して下さったモデルで色紙二枚描きました。私は名品の花瓶に生けられたうすいピンクの椿とガラスの洒落た花瓶の水仙を描きました。

そのあと移動し和食の会食、海の幸のお料理、和気あいあい舌つずみを打ちました。
先生方の用意された福引きに皆で興じ楽しい時間、盛会でした。
友人がメインの当たりの品、先生の描かれた洒落た花瓶の名器に生けられた椿
の色紙が大当たり大喜び。
私は「あたご梨」大きなのを一つ、何とか記念に絵に出来ればと思います。
湯河原での一日、とても楽しかった。

駅迄送って下さる道々先生が私におっしゃった。
「髙橋さんの絵は良い作品がある。そうでないものもあるが。・・・」と。
そのお言葉はとても嬉しい。もっと、もっと有難うの言葉を言うべきだったが、
言えずに・・・
「先生に付いたから・・・。」と、ポツッと言った私。
 感謝の気持ちがあるのに表現出来なかった。。


2012年01月02日
新春に主人に言った。
「私はおばあちゃんっこで育ったので良い方には頼った生き方をしたね。」と、主人も含めての積りだったのだが。
彼は「絵では良い方に出合ったね。」と。

結婚で上京後、何も解らない私、故郷の東光会の先輩の先生にバックアップをして頂き、東京の偉い先生を紹介下さり、通いました。又、ブラジル帰国後は東光会洋画研究所へ。長い間、色々な先生方にご指導頂きましたが、私が絵に迷い、ご相談した時又
、考えて下さり、今ずっとご指導頂いている先生をご紹介下さり、それが私にとって「幸運」ラッキーな出会いでした。「良い方には頼る私のやり方」をずっと、かなえて下さった二人の先生。東光会でずっとお世話になりました。

何時までも教えをこう私ですが「この性格は直らない。」が、ちゃんと教えて下さるので、そういう生き方もマンザラではない。

絵を描く良い友人も沢山いて・・・。

年末年始絵を描かないでいるとこんな事を考える。今年も絵、元気で描いていきたい。
それが元気の秘訣の様な気がする。
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