●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
info@takahasiyuri.ocnk.net
髙橋佑理


ホーム絵描き日記2012年2月
2012年2月
絵描き日記:7
2012年02月25日
又、冷たい雨になりました。今日、2月25日は旦那様の誕生日で「喜寿」です。私は昨秋
古稀を向かえ、いつの間にか二人共こんな、年になってしまいました。
彼の理解で私は好きな絵にはまりこむ事が出来、それが「張り」の生活で元気でいられると思う。
彼はP.C.は興味を持たないが私が自分のサイトでP.C.の前に座っていると、台所で
カチャカチャとお皿を洗う音が・・・・又、朝は置いておいた洗濯物を陽の照るベランダに干してくれているのです。干し方は、私のやり方で。。長年の夫婦、昔、お偉かった方も、
家庭でお互いの生活を上手く取りなしてくれる。買い出し、調理は私の役目。
何時までも、二人元気でいるのが老夫妻の幸せ、又、子供孝行でもある。
旦那様は読書が好きだが、私は絵さえかければ良い。
小さいケーキでも買ってくる??
2012年02月23日
四年余り、続いた私達の地元の「人物画を描く会」、後の3年程モデルをして下さったお嬢さん。このたび、大学ご卒業、社会人になられるので、この会は終わる事にしました。昨日は現在の四人の会員で休憩を少し長く取り、お祝いの会をしました。とても、素直な可愛いお嬢さんで私共のアイドルでした。私は彼女をモデルに大小、沢山の「人物画」を描かせて頂きました。それを先生にお見せしてアドバイスを頂き、勉強させて頂きました。お陰さまで、私は「人物画」の「とりこ」になってしまいました。新しいモデルさんとの出会いがあればよいが。。

ずっと、今迄、四年間、お付き合い下さった方々、本当に、有難うございました。


2012年02月20日


昨日のデッサン会、飯田さんの段取りのもと、彼女のアトリエに7人お邪魔し、モデルさんを囲み描かせて頂きました。  いつもの顔ぶれの他、金沢から、飯田さんのアトリエアイルを見られて、わざわざおいで下さった男性。今迄の裸婦作品も見せて頂きました。和気あいあい、終了後、、飯田さんがコーヒーを入れて下さり、皆でお話するひと時でした。同じ目的で集まった方々、高校1年生から70代迄、話題は共通です。

私は飯田さんがお誘い下さって裸婦に参加させて頂くのは二回目ですが、昨日は固定ポーズのデッサンは(立ちポーズ)、後ろからと前から、F3のスケッチブックに手始めとして、ペンに水彩で描きました。その後、20分で描く、クロッキー、2ポーズ、回りをまわって、
描きます。
クロッキーはポーズも高度で難しく、これは鉛筆で数をこなしていき体の基本の勉強と思います。初歩の私ですがお聞きすると飯田さんは教えて下さいます、彼女のデッサン・クロキ―をH.P.で見られて・・・又お人柄ゆえ皆さん集まって来られるのです。

私も良い友人に恵まれた事を嬉しく思います。
2012年02月15日
私は内気な女だったと思うが、この様にばーさんになり、「絵」で自分を前へ??
出してしまう。
1年半位前、息子達がパソコン一式を揃えてくれ、何も出来ないので、敷居が高いP.C.教室をのぞいていたら、丁度、優しいそうな女性の先生が招き入れて下さり、お話をし、始める事になった。何も、知らない私に、初歩の打ち込みからだった。そのうち、私は
「絵のH・P.を作りたいのです~~」等、ずうずうしくなり、先生はそれに、向けて、
飯田さんのH・Pアトリエアイルを見る事を教えて下さいました。

その後、飯田さんにお願いしたら、彼女は良いお返事で早速取りかかって下さいました。こうして私は回りの皆さまのお陰で、サムホール個展の前は考えていなかった事ですが
私のH・Pに向けて一生懸命になりました。

パソコン教室の先生に、私の絵を掛けて下さいとお願いしたら、こころよく応じて下さり、時々取りかえて、皆様に見て頂きます。地域で眠った絵を活用できれば良いと思います。

2012年02月09日
長い間、風邪を引かないと、変な自信を持っていた私だがついに引いてしまった。
嫁につい言ったら、心配して電話をくれた。気になっている息子の事をチョット話したら、40代の息子達を育てたのだから私は自信を持つ様に・・・と。彼らは自分でチャンと生きていくのだから。母親は何時までも心配するのです。子供の事は。世の中には病気で大変な方がいらっしゃるので元気でいられる事を有難く思って。。。。と。

彼女はこれから、息子達を育てていく。
世の中が、受験!!という中、彼らの「人間性」を大切に考える、彼女の子育ての様子が感じられた。子供は勉強しなければならない時には自分から、するようになるものだ。次世代の成長に期待をしよう。彼女とそんな話が出来たのも「風邪」の巧妙だった。

しかし、彼女も40代に・・・外国で苦労して来たのだろう。今の私にもっともな助言をしてくれた。
嫁の成長もたくましい!!
2012年02月04日
横浜の社宅に住み10年。子育ても一落ち付きの頃、ご近所の奥様方によればお家を建てるとか、引っ越しとか・・・・?

狭い社宅、あてもないが私はどこかへ行きたかった。所がブラジル転勤、主人は予想がついていたのか?子供達、特に上二人、私も大喜び。皆、初めての経験をする。
1974年7月4日、日本を発ち、ニューヨークで一時休止。真冬の未知のサンパウロに着いた。ポルトガル語は全く解らず、幸い日系ホテルを手配して頂き、一か月位とどまり、家族でマンションを探し、皆で一緒に・・・。日本人学校へホテルから、通い、あり合わせの現地の物でお弁当を持たせ・・私はスクールバスの止まる所で朝、夕、送り迎えをするのであったが、長男と行き違いになり、彼は泣きながら、様々な人種のブラジル人ばかりの道をホテルに向かっていた。割と神経の細やかな長男、豪快な次男、それぞれの新天地への反応だった。
それから5年半、毎日、日本人学校へスクールバスでかなり、遠い道のりを通い、サッカ―をしたり友人は日本からの進出企業のお子さんばかりだった。2年に一度の日本へ一時帰国ついでに他の国へ寄ったり言葉は出来ずとも楽しかった。6人家族の大部隊、私達は良くもその様なエネルギーがあったものだ。
  
帰国後、暫くして主人は息子達が学生時代、夏休みにアメリカ一人旅行をさせたが4人共行かせるつもりが下の息子達はしなかった。ブラジル時代がまだ幼かったから、その力がなかったと思う。(私もそれは出来ない・・・)   その様な経験をした彼らは後に海外赴任をし、又、留学、今は会議で海外各地に。父親には外国の高級なウィスキー等買ってくる。海外経験が生きていると思う。

定年後は私達、二人でヨーロッパ・ニューヨーク等へ、主人が引っ張って連れて行ってくれた。ツワーより二人の自由な旅をした。   
現代の国際化より、一足 前のことだ。でも、懐かしい良い家族の思い出になった。
今はもう、その元気はない。彫刻と絵を描く毎日、今の日々である
2012年02月01日
私の画室で、奥様先生のシャンソンを聞き、100号、仕上げの段階に。
気持ちのゆとりが出てきたのか、お久しぶり懐かしいお声を。
月に1度の「佐藤教室」に伺うのですが恩師ご夫妻は何時も、私の心の中におられます。
4年余りの地元で描いた「人物画」、ずっと、お二人に見て頂きました。
大作では、長い間「壁を・・・」と引っ張って頂いた後、自画像、主人のウクレレ姿へ。
今度のこの作品も主人のウクレレ姿、黒バックです。
長い間、ご夫妻にご指導頂いてきましたが、先生も是からもお忙しくなられますので
あまり、ご無理を言わず自立していかなければなりません。CDが色々ある中、気ごころが知れ、身近かな奥様先生のお声が良いです。

この三日、ページビューがすご~~く伸びています。。。嬉しいです。
どなたが見て下さっているのでしょう?? 有難うございます

 




  Powered by おちゃのこネット
ホームページ作成とショッピングカート付きネットショップ開業サービス