2019年03月15日
次男ぼはここの整形学部、に入りたいと言う、それを受けて実家の祖母が
昔の親類のここの学長氏にお願いしてくれ、整形の教授をご紹介頂いた。
勿論従姉妹が東京にいらして、母はお手紙や贈り物など昔のご縁で。と思うが。
それで彼の希望は叶える事になったがキット人一倍、頑張ったろう。
地方の病院へ勤務したり。もして。
彼は最初 四国の地方大学へ受かり、その折も祖母は知人の教授を紹介してくれ
次男ぼは家庭教師等して お世話になった。父が早く亡くなったので地味な苦労人の母でしたが
心にはプライドを持って生きて、保育園の園長を定年まで勤めました。

その彼が私を診察後、今 アメリカ出張中、月曜日に帰る、との事。ここでは真夜中のメールで。
痛いと言えば安静にしておれよ。という。先ほど薬を持って来て下さった。
青年介護士さんも同じ事を仰る。
この部屋に住んでHP等、するのも 楽しい。安静にして。
新作葉書絵はまだチョットできないが・・・お直しをしている。

定年後のまだ、元気なお父さん、と 毎年。秋には母と私達とで実家のお墓参りを
楽しみにしてくれ 山の上の・・・
もう 今はお父さんはいないし 私も山の上の先祖の墓地は行けない。
弟達たちがやってくれている。

