2017年07月04日
カレンダーの前をうろうろして色々、私に聞いてくるお父さん。今の。

しかしながら 家族みんなで出発した羽田空港。その日は忘れ、たのか、
お父さんに私は言う、。1974年7月4日は初のサンパウロ行きの日だよ。
5年半、色々なことがあったが2年に一度の一時帰国は子供達は楽しみ。
祖父母宅で。大変だっただろう。おじいちゃん、お祖母ちゃん。
子供達は現地の事を 何にも知らずに行ったが。何かを得たか。日本人学校で。
お父さんの奨めもあり お兄ちゃん、次男ぼは大学の休みにアメリカ一人旅。
後に社会人になってそれぞれに海外赴任などして、留学も。
お父さんと同じく 彼らも 皆一緒に家族とで行った。
お兄ちゃん夫妻は懐かしのサンパウロへ赴任。。した。
私達もサンパウロやミュンヘンに逗留させて頂き。観光もした。
下の息子達はまだ小学生の海外だったので一人外国へは行かず。

こういう生き方をしたのはお父さんのお陰で・・・
チョット弱くなった私達に彼らは良くしてくれる。優しい。

1974年7月4日私達としては初の海外 勿論子供達も。思い出沢山忘れない。
その時のお父さんは英語はもとより ポルトゲース(ポルトガル語)をすごーく勉強し
私は主婦の買い物程度を習った。が。
私も子供達も素晴らしいお父さんに頼っていた。
もう80過ぎのお父さん子供たちは良くしてくれる。