2013年03月18日
私は長い間、ご指導頂き 100号に「壁」を描いていた時代がありました。
壁を取材してきてそれを描き その前に古い農具、野菜などを配置し一生懸命
描きました。100号、50号で 東光展はじめアチコチに出品しました。
その「絵」はうちにまだあるのですが
しばらくぶりにジックリ眺めてみて 未熟さを目の当たりに感じます。
「人」はその時は良いと思い仕上げ 発表しても後に見て恥ずかしいと感じるの
ですね。

それが進歩出来た?、、といえるのでしょうか?
壁の後の100号は人物画、これは又難しく初心から描きました。鏡の前の自画像
からウクレレ弾きへとご指導頂きました。
ウクレレ弾きの近作数点のみ残し もう「壁」はお恥ずかしい作品なので
次、来年は30号にすると言う事もあり100号のキャンバスの枠は親しい方に
お譲りする事にしました。。
連絡してみると二人の方が引き取って下さると。
私の「絵」は時代、年齢と共に価値観が変わってきた、と思うのです。
今「小品」で、次の「東光展」出品作は30号にしようとしている。しかし以前のような
未熟な「絵」ではなく 一生懸命な力の入った30号の「絵」を描きたい。
そういう風な私になったのも 年を重ねたからばかりだけではない。
H・Pで発表も面白いからなので。時代と共に変わっていく***私なのです。
多くの方々や公的な団体に迄 H・Pアドレスお伝えし 見て下さっているかは
解からないですが・・・良いご反応あれば良いと思います。