●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
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髙橋佑理


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絵描き日記
絵描き日記:1877
2012年04月09日
寒い冬を越して今朝、黄色のチューリップ二つ開花、F0号かSMに描いてみたい。
花冷えの昨日は「佐藤教室」(静物画)に行ってきました。私は薔薇が描きたいと思っていましたら、丁度沢山の薔薇を生けて下さっていてついた時は誰も描いておられず、自分で花をセット、F8号にタップリの薔薇、、。。豪華な絵になりました。何時も、ご注意頂くのですが又、バックの色面の塗り込み・・・

帰りは若手の友人二人と一緒に帰り、 タクシーの運転手さんが湯河原の桜名所案内すると、、、5分位まわり道して、車中お花見・・・友人がアイホンで撮りブログアップとのこと。
電車で私は若い方々にご相談。お一方は「絵とつれづれに」を制作、デザインをして下さった方。
私は是から描く絵のアップ、整理等、自分のH・P・、もっと充実していきたいのでP・C学んでみたい。。。。。うまくいくかどうかは**やって見てのお楽しみ??
絵を描く者同志の年を越えての、交流、、、、私は若い方に新しい事、教えて頂きたいので。。。絵が上手い上手くないとは関係なく、同門同志の楽しい友人。。。。同じ話題で楽しい笑顔に花が咲く+++。。女性同志でお喋りしての帰りの電車で。


                        
2012年04月07日
私の嫁いだ家は賑やかな大家族。嫁いだ時は 少々戸惑ったが、現在では
しっかりしないが、一応長男の嫁。父母の晩年はうちの近くにお呼びしお世話した。
兄弟の方集まる時は、冗談を言いながら和気あいあいそれで理知的な方々で、
私はそれには及ばないが・・・

子供の小さい時は私は随分、お世話になった両親。と、うちの近くで一緒に
生活でき良かったと思う。父は実直で真面目な方、母は私と同じ女学校の
古い同窓、ユーモアなそれでドンとたくましい。そういう両親ゆえの素晴らしい
大家族。
今、オープンにしない親族のみのサイトあり 書き込み写真アップ等、楽しい。

先頃の私の個展のオープニング。丁度、祝日で若い方々にも声を掛けたら 
海外からも夏休みで来て下さり、若者のお久しぶりの再会、喜んで頂き
又、こう言う機会をと・・・賑やかな一族だけの個展のオープニングでした。
2012年04月01日
今日は、日差しが暖かく、何処かへ行って描いてみたい気がします。
以前、先生から、頂いたお便り、


「楽しく生きるために絵を描ける幸せを追いかけたいですね。」と。
私が体調を崩した時だった。

先生の以前の画集を拝見していると「勤めと絵描きの両方をしていると時間も
体力も有効に使わねばならない。それよりも現状に不満を抱いて『絵を描ける幸せ』を
忘れた時に、作品から何か大切なものが抜けていく気がしてならない。」と。
私は10数年、頼りっぱなしで来ました。暇な主婦でしたが
この様に頑張って絵を描いてこられた立派な「先生」に教えていて*「絵」に夢中に
なりました。

先生はお立場で今現在、お忙しく、その様なお便りは頂けませんが『絵』に対する
気持ちはチャンと頂きました。

まわりの方につられようとしていた私に「限られたエネルギーを自分の為に大切に
使うべきです。楽しく描ける事が一番の幸せです。」。。。と。

これから、自分で小品を描いて先生方に見て頂ける時が来るのを願っております。

2012年03月30日
   


春になりました。出掛けるついでがあり、水彩絵の具を持って出て、少しの時間、「青葉の森」公園で葉書サイズの風景画を描きました。途中、風が吹いて来たのですが小さい作品なので何とか一枚描きました。
このところ、風景画を描くチャンスがないのでこの大きな公園で描けるスポットを探し、水彩から、油絵も描いてみたいと思います。今迄とは違う事をすると、新しい発想が生まれてきました。
小さい水彩額に入れると、出来の良し悪しにもよりますが、どこかに掛けて頂けると嬉しいです。この様な小さいミニアチュール、水彩も油絵も描いていきたいと思います。軽いので掛けて頂くのは意外と喜ばれのです。是から、暖かくなるので「風景」にも手を広げたいと思います。まず、身近な場所で小品で。
今日、思いつきで公園に行って、私にとって一つの発見、でした。

この小さな絵でも、家に帰って眺め、修正をします。教わった理屈を入れてそれが楽しいのです。恥ずかしくないように掛けて頂くのを意識してしまいます。
額に入れても又、出して修正、油絵も同じ、大作でも同じ事を私は繰り返すのです。

近くのお世話になったパソコン教室の女性の先生は私の絵を喜んで掛けて下さいますが小さいので軽い物がよいと葉書サイズ、SM、F3、F4も。
私もそこにはそれが丁度良いかと思います。描くのも張りになります。
2012年03月27日
甘い苺、毎年嫁が彼女の実家から頂いて運んで来てくれる。地元産の甘い栃乙女。送る事も出来ず早く熟したのを直ぐに頂かなければ。。。毎年車で家まで持ってきてくれる。その甘さと香りを頂くとスーパーで売っている苺は頂けない。

彼女も子供三人連れて現代を生きる良き母親になりました。少し、落ち着いてきた孫たちと共に元気一杯・・・私は彼女に現代の事、聞けば、彼女なりの答えが帰って来る。面白い。家族でも若い人は忙しいのでたまにしか会わないが共通のコミュニケーションがある。
もっぱら、日常はメールで。

大作も仕上ったので午後は「苺」で小品を描こう。。。新作の小品の一点として置いておく。



今朝、外国から息子が絵をだしてくれた。彼は仕事で随分、忙しいらしい。文章ばかりの「絵描き日記」カットが入ると少し良いみたい・・・・ 頼んでアップしてくれた「苺」の絵は以前から H。P。に出している物です。今描いているのはF4号で白いバックにしています。良いモチーフに出合うと描きたくなる。
2012年03月24日
「東光展」出品作品、F100号、この辺で「キリ」を付けて筆を置きます。
モチーフは又、主人のウクレレ演奏の場面です。今度のはバックが黒幕で作品がキリリと締まり又、モデルの主人も締まった顔にと思い左目を何度も描き直しまだ苦労しています。昨年、秋頃から取り組んできました。先生に時々、アドバイス頂き、やっと完成としましょうか??。。。このモチーフは100号で3枚、50号で1枚描きましたがモチーフを決める時は先生のアイデアも頂きました。身近なモデルで気安く座ってくれるので助かりました。永い人生を経てきた男の、表現に苦労しました。特に顔の様相。。。

東光展、2年間都美術館のリニューアルの為、30号を上野の森美術館に出品しましたが、今回から新しい美術館での大きな展覧会になります。

私も高齢となり 100号上の方を夢中で描くと足腰にきちゃうんで小さい椅子を肘掛けが付いたユッタリの椅子に変えました。休んで眺めて又、取っ組む。。。鏡台が絵の前にあるので写して欠点を見る。修正に修正を重ね、こわしてしまい。。。特に顔。。。が苦労!!

この様な事をしていると中々、絵の具が乾かない。最後に写真に撮って提出、バックの黒が光ってしまうので・・・撮る場所を考えなくちゃあー。。。大きい作品は大変なんです**

大作、大分主人の力を借りました。
2012年03月12日
3年前、「東光展」で先生の大きな絵を拝見し その帰り何時も絵の写真をお願いする駅の写真屋さんに寄った。そこで、バイトをしていた少女に「モデルしてくれない?」と声をかけたら、喜んでOKしてくれた。まだ幼さが残る彼女でしたが、、、就職活動の間をのぞき、ずっと「人物画を描く会」にモデルとして来て下さいました。幼かった彼女は今は初々しい落ち着きのある素晴らしい女性に成長され、このたび大学を卒業され4月からは社会人になられます。

今日は私の画室で私がお願いするままのポーズで休憩をはさみ3時間座って頂きました。今、お忙しいとの事、3月もう一度来られるか解りませんが無理をしないでと。写真を撮らせて頂いたので。
「人物画を描く会」でズット皆でお願いしてきましたが私の画室では初めて、話もしながら気ごころの知れた間柄、又来てくださるか、今どき珍しい気立てのよい、清純なお嬢さん。又、近くでお会いできれば良いと思う。

私は彼女のモデルで沢山の大小の絵を描きました。先生にアドバイス頂く事でとても、勉強させて頂きました。本当に彼女には有難く思っており、私の絵、人物画にとって貴重な存在の方でした。
もう一度、お願い出来れば良いのですが*門出の為忙しければ良いです。
2012年03月09日
昨日、整形外科の若先生に最近頂いた「骨の薬」について伺った。良くはならない”私の骨”。鈍い痛み、無理は出来ない。。。。つい先生に私の心のうちをはき出してしまった。先生は次の患者さんの所へ行かれる時、「創作活動をして下さい!」・・・と。待合室には私の「絵」を掛けて下さっている。若先生のお言葉に息子達とは異なる、励ましを頂いた。

帰り道、反省。小ぶりのアネモネを買って、これが私の気持ちを変えてくれれば良い。出品の目的は今はないが真摯に前向きに描いていかなければ。
H.P.にアップする事ばかり考えていたが・・・この辺で手描きで丁寧な”新作”を。以前より良い作品を***描こう。。。。若先生のお言葉でふと、よみがえった「以前の元気な私」    はたしてどの様な作品が。。。。。??
2012年03月04日



チューリップの太い芽が鉢に9のつ・・・頭を出している。三月、外はまだ、寒い。
昨夜、、嫁よりのメール。何時も絵をアップしてくれている息子が週末帰って来るとの事。今日の私はことずける資料作りで忙しい。

以前、息子達がデジカメ。その後、パソコン一式を私共に与えてくれた。主人は全く使わないが、私は「絵」を描く事よりもサイトにはまってしまった。息子に「どう 思う?」と聞いてみたら「画集」だね!」。。。と。
冊子の画集はポンとしまえば眠ってしまう。ホームページはドンドン動く。見たくなければ見なくて良い。

若い人に教わらなくては私は解らない事がたくさんあるが身内でないと私なぞには教えてはくれない。そういう人歓迎!!

「絵」も「パソコン」も家にいてできるので丁度良い。運動不足にならぬ様に・・・注意している。。

この私のサイトを見ていると、最近どうやらカットが多いようだ。同じ巾をしめるので
油絵の方が重みがあるように思うが。





2012年02月25日
又、冷たい雨になりました。今日、2月25日は旦那様の誕生日で「喜寿」です。私は昨秋
古稀を向かえ、いつの間にか二人共こんな、年になってしまいました。
彼の理解で私は好きな絵にはまりこむ事が出来、それが「張り」の生活で元気でいられると思う。
彼はP.C.は興味を持たないが私が自分のサイトでP.C.の前に座っていると、台所で
カチャカチャとお皿を洗う音が・・・・又、朝は置いておいた洗濯物を陽の照るベランダに干してくれているのです。干し方は、私のやり方で。。長年の夫婦、昔、お偉かった方も、
家庭でお互いの生活を上手く取りなしてくれる。買い出し、調理は私の役目。
何時までも、二人元気でいるのが老夫妻の幸せ、又、子供孝行でもある。
旦那様は読書が好きだが、私は絵さえかければ良い。
小さいケーキでも買ってくる??
2012年02月23日
四年余り、続いた私達の地元の「人物画を描く会」、後の3年程モデルをして下さったお嬢さん。このたび、大学ご卒業、社会人になられるので、この会は終わる事にしました。昨日は現在の四人の会員で休憩を少し長く取り、お祝いの会をしました。とても、素直な可愛いお嬢さんで私共のアイドルでした。私は彼女をモデルに大小、沢山の「人物画」を描かせて頂きました。それを先生にお見せしてアドバイスを頂き、勉強させて頂きました。お陰さまで、私は「人物画」の「とりこ」になってしまいました。新しいモデルさんとの出会いがあればよいが。。

ずっと、今迄、四年間、お付き合い下さった方々、本当に、有難うございました。


2012年02月20日


昨日のデッサン会、飯田さんの段取りのもと、彼女のアトリエに7人お邪魔し、モデルさんを囲み描かせて頂きました。  いつもの顔ぶれの他、金沢から、飯田さんのアトリエアイルを見られて、わざわざおいで下さった男性。今迄の裸婦作品も見せて頂きました。和気あいあい、終了後、、飯田さんがコーヒーを入れて下さり、皆でお話するひと時でした。同じ目的で集まった方々、高校1年生から70代迄、話題は共通です。

私は飯田さんがお誘い下さって裸婦に参加させて頂くのは二回目ですが、昨日は固定ポーズのデッサンは(立ちポーズ)、後ろからと前から、F3のスケッチブックに手始めとして、ペンに水彩で描きました。その後、20分で描く、クロッキー、2ポーズ、回りをまわって、
描きます。
クロッキーはポーズも高度で難しく、これは鉛筆で数をこなしていき体の基本の勉強と思います。初歩の私ですがお聞きすると飯田さんは教えて下さいます、彼女のデッサン・クロキ―をH.P.で見られて・・・又お人柄ゆえ皆さん集まって来られるのです。

私も良い友人に恵まれた事を嬉しく思います。
2012年02月15日
私は内気な女だったと思うが、この様にばーさんになり、「絵」で自分を前へ??
出してしまう。
1年半位前、息子達がパソコン一式を揃えてくれ、何も出来ないので、敷居が高いP.C.教室をのぞいていたら、丁度、優しいそうな女性の先生が招き入れて下さり、お話をし、始める事になった。何も、知らない私に、初歩の打ち込みからだった。そのうち、私は
「絵のH・P.を作りたいのです~~」等、ずうずうしくなり、先生はそれに、向けて、
飯田さんのH・Pアトリエアイルを見る事を教えて下さいました。

その後、飯田さんにお願いしたら、彼女は良いお返事で早速取りかかって下さいました。こうして私は回りの皆さまのお陰で、サムホール個展の前は考えていなかった事ですが
私のH・Pに向けて一生懸命になりました。

パソコン教室の先生に、私の絵を掛けて下さいとお願いしたら、こころよく応じて下さり、時々取りかえて、皆様に見て頂きます。地域で眠った絵を活用できれば良いと思います。

2012年02月09日
長い間、風邪を引かないと、変な自信を持っていた私だがついに引いてしまった。
嫁につい言ったら、心配して電話をくれた。気になっている息子の事をチョット話したら、40代の息子達を育てたのだから私は自信を持つ様に・・・と。彼らは自分でチャンと生きていくのだから。母親は何時までも心配するのです。子供の事は。世の中には病気で大変な方がいらっしゃるので元気でいられる事を有難く思って。。。。と。

彼女はこれから、息子達を育てていく。
世の中が、受験!!という中、彼らの「人間性」を大切に考える、彼女の子育ての様子が感じられた。子供は勉強しなければならない時には自分から、するようになるものだ。次世代の成長に期待をしよう。彼女とそんな話が出来たのも「風邪」の巧妙だった。

しかし、彼女も40代に・・・外国で苦労して来たのだろう。今の私にもっともな助言をしてくれた。
嫁の成長もたくましい!!
2012年02月04日
横浜の社宅に住み10年。子育ても一落ち付きの頃、ご近所の奥様方によればお家を建てるとか、引っ越しとか・・・・?

狭い社宅、あてもないが私はどこかへ行きたかった。所がブラジル転勤、主人は予想がついていたのか?子供達、特に上二人、私も大喜び。皆、初めての経験をする。
1974年7月4日、日本を発ち、ニューヨークで一時休止。真冬の未知のサンパウロに着いた。ポルトガル語は全く解らず、幸い日系ホテルを手配して頂き、一か月位とどまり、家族でマンションを探し、皆で一緒に・・・。日本人学校へホテルから、通い、あり合わせの現地の物でお弁当を持たせ・・私はスクールバスの止まる所で朝、夕、送り迎えをするのであったが、長男と行き違いになり、彼は泣きながら、様々な人種のブラジル人ばかりの道をホテルに向かっていた。割と神経の細やかな長男、豪快な次男、それぞれの新天地への反応だった。
それから5年半、毎日、日本人学校へスクールバスでかなり、遠い道のりを通い、サッカ―をしたり友人は日本からの進出企業のお子さんばかりだった。2年に一度の日本へ一時帰国ついでに他の国へ寄ったり言葉は出来ずとも楽しかった。6人家族の大部隊、私達は良くもその様なエネルギーがあったものだ。
  
帰国後、暫くして主人は息子達が学生時代、夏休みにアメリカ一人旅行をさせたが4人共行かせるつもりが下の息子達はしなかった。ブラジル時代がまだ幼かったから、その力がなかったと思う。(私もそれは出来ない・・・)   その様な経験をした彼らは後に海外赴任をし、又、留学、今は会議で海外各地に。父親には外国の高級なウィスキー等買ってくる。海外経験が生きていると思う。

定年後は私達、二人でヨーロッパ・ニューヨーク等へ、主人が引っ張って連れて行ってくれた。ツワーより二人の自由な旅をした。   
現代の国際化より、一足 前のことだ。でも、懐かしい良い家族の思い出になった。
今はもう、その元気はない。彫刻と絵を描く毎日、今の日々である
2012年02月01日
私の画室で、奥様先生のシャンソンを聞き、100号、仕上げの段階に。
気持ちのゆとりが出てきたのか、お久しぶり懐かしいお声を。
月に1度の「佐藤教室」に伺うのですが恩師ご夫妻は何時も、私の心の中におられます。
4年余りの地元で描いた「人物画」、ずっと、お二人に見て頂きました。
大作では、長い間「壁を・・・」と引っ張って頂いた後、自画像、主人のウクレレ姿へ。
今度のこの作品も主人のウクレレ姿、黒バックです。
長い間、ご夫妻にご指導頂いてきましたが、先生も是からもお忙しくなられますので
あまり、ご無理を言わず自立していかなければなりません。CDが色々ある中、気ごころが知れ、身近かな奥様先生のお声が良いです。

この三日、ページビューがすご~~く伸びています。。。嬉しいです。
どなたが見て下さっているのでしょう?? 有難うございます

 




2012年01月29日
地震情報で「富士宮」の地名が・・・こう言う事で思い出すとは遺憾だが。私共家族は主人の仕事の為、冬を除いて8カ月ほど、富士宮に住んでいた事があった。
乳母車を押し二人のおさなごを連れ、当時,、畑が多くあり、雪解け水の冷たい川に沿った
家にのんびり住んだ。
勿論、絵など描ける訳はない状態だが、目の前に広がる大きな富士。絵に描いて見たいと思った。しかし、どの様に描いて良いかも、わからなかった。単純すぎて美しすぎて。
休日に2合目あたりまで、おにぎりを持ち車で登るのみに終わった。


先生は素晴らしい「富士」の絵をお描きになり、様々、色々、大小、沢山に。
見せて頂けるのです。

予想もしなかった光栄な、出会い***!
永く生きていると不思議なめぐりあいがある。
2012年01月19日
この年始に母親と帰国した二人の男子孫。お久しぶり、ユックリ過ごしたのだが小中学生に、なり、、ちいさい時の大変なママも卒業。幼い頃は人より可愛がって子育てをしていたママ、今になりそれが子供達に表れ、気持ちが穏やかで、安定、優しい少年達に育っています。
是から、受験期になる迄、日本に慣れ、頑張って下さいね。

さすが、長男一家、誰ともなく言い、仏壇の前で正座して四人で長い間、手をあわせる。
父親・母親、海外へ行く前とは又、息子達に対する接し方が違う。孫達は成長したものだ。

私の子育ては四人で随分、賑やかだったがやはり、男ばかりだったので主人が取り仕切り、居ないときは長男に任せた。
『ママを大事にせえよ~~』  と主人。大事にされたかどうかは覚えてはいないが・・・
現在は息子達、夫妻が私達を大事にしてくれる。
世代も変わる。
2012年01月13日
新年早々、家族を帰国させ、住まいを整え帰って行った息子。又、赴任の時と同様に一人
ぐらしになった。私の絵の資料渡し、週末にはアップしてくれると言う。そういう息子がいてくれると私も描くのに精が出る。

彼は自分が主人から言われブラジルからの帰国子女で帰国。公立中・高を経て一浪の末、結構良い国立大へはいった。その浪人たるや、一流予備校の一流コースへはいれたが主人は行かせず、 「家で自分でやれ」と。・・・主人、自分の経験から。

 回りの雰囲気を知るために予備校の単科講習にはいかせた。   「宅浪」で現役の時は彼にとってウンとウンとレベルの高い所を受けさせ回りの皆の雰囲気をつかませた。
一浪の末、入学出来たのはそれよりも、もっともっと上の国立大だった。
本人の努力は絶大なものであったが私は彼のやった結果と男親のリードは凄いと思った。
息子は自分の息子にも同じ様にさせる積りで、今、帰したと思う。丁度、同じ中2の1月である。日本の中学へ入り、早速サッカーの朝連に行っているみたいだ。自分がされたそういう価値観を継ぐ息子、早く辞令が出て家族一緒に暮らせるように願う。

男の子は父親の教育次第で頑張れる。厳しい社会を生きて行くのだから女親ではダメだ
と思う。

弟達も同じ様に。。。。生き方は様々だが。   真冬のセンター試験の時期に思う。
2012年01月09日
昨日は「佐藤教室」毎年恒例の新年会でした。先生の講義、それぞれの自己紹介の後、用意して下さったモデルで色紙二枚描きました。私は名品の花瓶に生けられたうすいピンクの椿とガラスの洒落た花瓶の水仙を描きました。

そのあと移動し和食の会食、海の幸のお料理、和気あいあい舌つずみを打ちました。
先生方の用意された福引きに皆で興じ楽しい時間、盛会でした。
友人がメインの当たりの品、先生の描かれた洒落た花瓶の名器に生けられた椿
の色紙が大当たり大喜び。
私は「あたご梨」大きなのを一つ、何とか記念に絵に出来ればと思います。
湯河原での一日、とても楽しかった。

駅迄送って下さる道々先生が私におっしゃった。
「髙橋さんの絵は良い作品がある。そうでないものもあるが。・・・」と。
そのお言葉はとても嬉しい。もっと、もっと有難うの言葉を言うべきだったが、
言えずに・・・
「先生に付いたから・・・。」と、ポツッと言った私。
 感謝の気持ちがあるのに表現出来なかった。。


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