絵描き日記

画像: サッカ―少年、その後。

サッカ―少年、その後。

2012年02月04日

横浜の社宅に住み10年。子育ても一落ち付きの頃、ご近所の奥様方によればお家を建てるとか、引っ越しとか・・・・?

狭い社宅、あてもないが私はどこかへ行きたかった。所がブラジル転勤、主人は予想がついていたのか?子供達、特に上二人、私も大喜び。皆、初めての経験をする。
1974年7月4日、日本を発ち、ニューヨークで一時休止。真冬の未知のサンパウロに着いた。ポルトガル語は全く解らず、幸い日系ホテルを手配して頂き、一か月位とどまり、家族でマンションを探し、皆で一緒に・・・。日本人学校へホテルから、通い、あり合わせの現地の物でお弁当を持たせ・・私はスクールバスの止まる所で朝、夕、送り迎えをするのであったが、長男と行き違いになり、彼は泣きながら、様々な人種のブラジル人ばかりの道をホテルに向かっていた。割と神経の細やかな長男、豪快な次男、それぞれの新天地への反応だった。
それから5年半、毎日、日本人学校へスクールバスでかなり、遠い道のりを通い、サッカ―をしたり友人は日本からの進出企業のお子さんばかりだった。2年に一度の日本へ一時帰国ついでに他の国へ寄ったり言葉は出来ずとも楽しかった。6人家族の大部隊、私達は良くもその様なエネルギーがあったものだ。
  
帰国後、暫くして主人は息子達が学生時代、夏休みにアメリカ一人旅行をさせたが4人共行かせるつもりが下の息子達はしなかった。ブラジル時代がまだ幼かったから、その力がなかったと思う。(私もそれは出来ない・・・)   その様な経験をした彼らは後に海外赴任をし、又、留学、今は会議で海外各地に。父親には外国の高級なウィスキー等買ってくる。海外経験が生きていると思う。

定年後は私達、二人でヨーロッパ・ニューヨーク等へ、主人が引っ張って連れて行ってくれた。ツワーより二人の自由な旅をした。   
現代の国際化より、一足 前のことだ。でも、懐かしい良い家族の思い出になった。
今はもう、その元気はない。彫刻と絵を描く毎日、今の日々である


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