●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
info@takahasiyuri.ocnk.net
髙橋佑理


絵描き日記
ベッドで繰り見るスマホ、いつも絵の事を見るのに私のルーツを繰り見る。
戦争が終わり帰りに、ひろしまの原爆跡地を汽車が止まって歩いて帰ったと言う父は・・・

帰って新しい母と再婚、弟が生まれて幸せな暮らしをしたようですが。

大阪、東京へ行き家族の為に働いた父親、私は今迄深く考えたことはなかったが

スマホで繰り見ていて、考える。うちの息子達に残しておきたいと思い。。

父親の名前は検索できても今の若い人の同じお名前の方の顔が出る。同姓同名の。

更に検索すると父の事は出てはないがその時の会社は今も大企業のようです。

父親はそこの大阪工場長で会社からの迎えの車が来て姉の女学校と私の小学校へ

途中に降ろしてくれました。

弟の幼稚園にも。。忙しい 父は3人を気遣ってくれたのか。。

帰りが遅かったり あまり父と接することが少なかった。








私が6年生の春、叔父、叔母一族が集まって満開の桜の大きな木の前で一族皆で写真を撮って。

子供の私は事情は知らなかったのですが鯉のぼりが泳ぐ5月に亡くなったのです。5月5日

子供の日に。

後に母は田中千代先生の洋裁学校、専攻科迄勉強して。。


優しい母でした。姉と私の服を縫ってくれたり夏休みには行きました。その寮へ。






弟二人はマダマダ小さかったが苦労して育てた。田中先生の学生たちの寮でお世話して。


それから 70年、、私も高齢になりましたが父の名前はありませんがその時の会社は検索

するとありました。父の名前もなく時代も変わりました。お聞きしたいことがある創設者の

お名前はあります。今は世界的な大企業のようです。

私の主人と同じ大学でしたが彼の半分の命でした。父は。

眼科医の叔父はお互いに絵を描くことが共通点で私を理解してくれて。可愛がってくれた。

叔母共々良くされた。









今 うちの、一族もみんな頑張っているがその42歳で力尽きたお爺ちゃんの事も伝えたい。

このブログも見て欲しい。

父が残した株で育てられた。。私達。質素でしたが。人間国宝、浜田庄司の角型の壺を父は

祖母にお礼に贈った。



父が私を育てたお礼に祖母に贈ったとの事で。二度目の母がそれを送ってくれた。

ここの大きな机の上にあります。

上の写真は只、一人の女性孫のバレー姿です。今、ドイツ留学中です。

今は大人になって自分の意志でドイツ留学をしています。

10代の頃はモデルに来てくれました。ココファンのお父さんと私の部屋へ何度も。




おばあちゃん子であった私ですが。祖母は私を育てた、ずっと。嫁に出すまで。。


New Items
夏

 

夏です。
ばら (黒バック)  F6号   油彩

ばら (黒バック)  F6号   油彩 

ばらを描きました。どうしても黒いバックは光ってしまいます。
叔父と叔母。

叔父と叔母。 

佑理の叔父と叔母  個展での写真です。私は両親が早く無くなり 絵を描く叔父と叔母に 良くされ 育ちましたが叔父に高校の美術部に入った時、油絵が描…
叔父と叔母

叔父と叔母 

世話になって育ちました。二人共絵を描いていました。
  
Powered by おちゃのこネット
ホームページ作成とショッピングカート付きネットショップ開業サービス