絵描き日記

画像: 母の微笑み。*

母の微笑み。*

2014年05月04日

   



生母は私が生後三カ月で療養のため実家に帰り
その後は会った事もなく そのまま亡くなりましたが、
私は祖母に何の不自由もなく甘え、頼り 育てられていた。
そこへ4~5才の頃 後添えの母が嫁いできた。
何故か幼児の私はとても嬉しかった。
しかし 赤ん坊から祖母に頼り 甘えているので、
新しい母はそっと微笑む母であった、私に、。弟、二人が生れて、、
私が6年生の時 自宅療養の後 父は突然亡くなった。
母も私達もその時、一番大きな家で幸せな生活をしていた時だった。。
姉と私は祖母と故郷へ帰り 女子学園に入れられ 嫁ぐ迄、祖母に
育てられた。


母は幼児二人を育てていかなくてはならない、世の中を全く
知らない重役夫人から 働く女性の立場にならなくては。
その後 勉強した服飾洋裁学園の女子寮の舎監、その後は故郷に帰って、
親戚の会社の女子社員の保育園で保育園長、どちらも
母に合った仕事かと思うが。

親戚に母の当時の発言がまだ残り 今、時々噂を耳にするが 
しかし 本当は優しい母が一人で生きて来たので仕方なかったかも、、
自分の子供を一人で育てた、究極の母の立場は幸せな親類の方々とは違う。
私には娘として穏やかな母だったが、私は母のように一人では生きてはいけない。。
  


弟等を成人させ 学問をさせ、、もう60代の彼等。

60年前からの苦難の人生、苦労を乗り越えて 山の上の墓地に
今、眠る、母。
母は定年後 実家の古い家で一人余生を過したがその時が
人生の幸せな時だった、と思う。
時々 私は墓参りに主人共々 一緒に行ったが、それを楽しみにして
くれていたと思う。 

その頃が*母の一番幸せな時であった*と思う。地味でそして遊びにも
行くでもなく。お洒落をするではなく、、仕事と子供を育てるのみの人生で。

92まで人生を全うした、やさしい母の微笑み。奥ゆかしい崇高な人柄だった。*



弟と話していて子供の頃、母の涙を見たという、。
母は父方の親族のうちうちで 辛い思いをしたと思う。
一人で息子達を育てたんだもの・・私には主人がいて、子供を育てた。
曲りなりにも。。
優しい母は一人、強くなって生きた。。本当はとても謙虚な人だったが
自分の子供を育て 強く言わなければならない、時もあったと思う。
道理に合っていなくても、その愛情からの母の。気持ちで・・・



うちの整形医、祖母の親類の医学部の教授にお世話になりました。
息子さんの力です、奥様は仰るが、、母の孫への有難い親身の取り計らい。
ヤッパリ母の昔の親戚との間柄で。。他にも母は彼に自分の知人の
教授を大学では紹介してくれ 彼の地方での大学生活に大変お世話に
なりました。それで彼の今の現在がある。

母はユックリ 暮らしていた時、孫のために一生懸命、応援してくれた。

それが本当の母の姿なのです。優しい。**



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