●作品について●

当サイトに載せております作品は、主に2回目個展後の作品です。全て油彩作品ですがミニチュアールには葉書サイズ水彩もあります。作品についてのお問合せ、ご注文は下記までお気軽にお願いします。。
水彩葉書サイズ マット額は初期より 沢山に増えております。
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髙橋佑理


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絵描き日記
絵描き日記:1362
2012年01月13日
新年早々、家族を帰国させ、住まいを整え帰って行った息子。又、赴任の時と同様に一人
ぐらしになった。私の絵の資料渡し、週末にはアップしてくれると言う。そういう息子がいてくれると私も描くのに精が出る。

彼は自分が主人から言われブラジルからの帰国子女で帰国。公立中・高を経て一浪の末、結構良い国立大へはいった。その浪人たるや、一流予備校の一流コースへはいれたが主人は行かせず、 「家で自分でやれ」と。・・・主人、自分の経験から。

 回りの雰囲気を知るために予備校の単科講習にはいかせた。   「宅浪」で現役の時は彼にとってウンとウンとレベルの高い所を受けさせ回りの皆の雰囲気をつかませた。
一浪の末、入学出来たのはそれよりも、もっともっと上の国立大だった。
本人の努力は絶大なものであったが私は彼のやった結果と男親のリードは凄いと思った。
息子は自分の息子にも同じ様にさせる積りで、今、帰したと思う。丁度、同じ中2の1月である。日本の中学へ入り、早速サッカーの朝連に行っているみたいだ。自分がされたそういう価値観を継ぐ息子、早く辞令が出て家族一緒に暮らせるように願う。

男の子は父親の教育次第で頑張れる。厳しい社会を生きて行くのだから女親ではダメだ
と思う。

弟達も同じ様に。。。。生き方は様々だが。   真冬のセンター試験の時期に思う。
2012年01月12日
昨秋、「私、絵が描けんのよ~」と落ち込んでいた叔母。  私は日展の画集を送ったが
特に喜ぶ様子もなく、おかえしの品を送ってくれ、水くさい、その様なお気ずかいはいいのに・・・。と
余り電話はしないほうが良いのかなと思っていた。

毎年、叔父の残したエスキースの中からその年に合ったものを探し、印刷した年賀状楽しみにしていた。
今年は来ない。85歳の叔母の事、特に気にはしていなかったが、お久しぶり新年の電話をして見た。
年賀状は頼んだが印刷屋との行き違いで出来なかったらしい。
「その代わり皆さんから、電話がかかって来るのよ~」 「その方が良かったじゃない~」と、私。明るい叔母でした。私はもう「絵」の話はこちらからはしない事にした。

生活の様子を聞き、知り合いの皆さまが食事を持ってきて下さったり、良くして下さり、又、養子夫妻の至れり付くせりの環境でサポートして下さり、「寒い外には出ないのよ~」と。
「叔母さんの人徳ね~~」と私。
小さい時から、今でもとても良くしてくれ、何をしても、お上手で私にはまねをする事が出来なかった叔母なのです。
私に年を聞かれて「あんたより15歳上よ!」と。声もしっかり高く、お元気でした。

親世代、唯一の叔母なので大事にしたい。
2012年01月09日
昨日は「佐藤教室」毎年恒例の新年会でした。先生の講義、それぞれの自己紹介の後、用意して下さったモデルで色紙二枚描きました。私は名品の花瓶に生けられたうすいピンクの椿とガラスの洒落た花瓶の水仙を描きました。

そのあと移動し和食の会食、海の幸のお料理、和気あいあい舌つずみを打ちました。
先生方の用意された福引きに皆で興じ楽しい時間、盛会でした。
友人がメインの当たりの品、先生の描かれた洒落た花瓶の名器に生けられた椿
の色紙が大当たり大喜び。
私は「あたご梨」大きなのを一つ、何とか記念に絵に出来ればと思います。
湯河原での一日、とても楽しかった。

駅迄送って下さる道々先生が私におっしゃった。
「髙橋さんの絵は良い作品がある。そうでないものもあるが。・・・」と。
そのお言葉はとても嬉しい。もっと、もっと有難うの言葉を言うべきだったが、
言えずに・・・
「先生に付いたから・・・。」と、ポツッと言った私。
 感謝の気持ちがあるのに表現出来なかった。。


2012年01月02日
新春に主人に言った。
「私はおばあちゃんっこで育ったので良い方には頼った生き方をしたね。」と、主人も含めての積りだったのだが。
彼は「絵では良い方に出合ったね。」と。

結婚で上京後、何も解らない私、故郷の東光会の先輩の先生にバックアップをして頂き、東京の偉い先生を紹介下さり、通いました。又、ブラジル帰国後は東光会洋画研究所へ。長い間、色々な先生方にご指導頂きましたが、私が絵に迷い、ご相談した時又
、考えて下さり、今ずっとご指導頂いている先生をご紹介下さり、それが私にとって「幸運」ラッキーな出会いでした。「良い方には頼る私のやり方」をずっと、かなえて下さった二人の先生。東光会でずっとお世話になりました。

何時までも教えをこう私ですが「この性格は直らない。」が、ちゃんと教えて下さるので、そういう生き方もマンザラではない。

絵を描く良い友人も沢山いて・・・。

年末年始絵を描かないでいるとこんな事を考える。今年も絵、元気で描いていきたい。
それが元気の秘訣の様な気がする。
2011年12月30日
二人分の少量のおせち、お雑煮の段取りをする。主人は毎年どうり日本酒、お鏡餅、お飾り、しめ縄を買ってくる。毎年、しめ飾りの一つは私の画室に掛けてくれる。健筆であるように・・・と。

ブラジルは夏のお正月だったので帰って来たら、私はお屠蘇の一式がやはり、お正月には欲しいと思い6人家族で家計、きびしい時、塗りの手頃のお屠蘇セットを買った。お雑煮椀も欲しいが高くて手が出ない。その事を実家の母に何気なく、そういうつもりではなかったのに言うと祖父の代から伝わった十客の古い「雑煮椀」を送ってくれた。毎年、一度出すお椀だが母の暖かさを思う。
母は私が実家で見なれていた祖父の時代の工芸品を、折々に送ってくれた。実家の思い出ある数々。私達が浜田庄司館へ行って来た話をすると、昔、父が祖母に「娘二人を育ててくれた。」という感謝の気持ちで贈ったという、浜田の四角い花瓶をも送ってくれ、.そういう、いわくは知らなかった。

母は思い出を私につないでくれたのだ。人には幾つになっても心にしみついた思い出があるものだ。母の暖かい想いを大事にしたい。

今、海外から引っ越しの息子、スキー旅行をするという息子、日頃、音沙汰がないが元日には雑煮を食べに来ると言う息子、今は解らないだろうがいずれ、解るだろう。祖母の心が。

冷たい風の吹く、暮れ30日、主人と正月の買い物に行った。カートが結構、重くなり助かった。仏さまのお花と居間に生ける花、買ってきた。大晦日はおせち・お雑煮の段取りで
忙しいだろう。最近、主人との共同の仕事になった。
2011年12月23日
年末なのでお世話になっている整形外科へ薬を頂きに行った。カルシウム・ビタミンD・漢方等。比較的空いていたので、若先生のユックリの診察だった。長年の間お世話になった院長先生の時もあり、お二人共患者とのコミュニケーションを大切にして下さり話をされるのが暖かい・・・。

我が家にも病院勤めの整形外科医がいるが「来たら検査等して診てやる。」というのだが彼はとても忙しいと嫁の弁。夜も遅く、土日も休む事が少ないそうだ。お気持ちだけで良いので、いずれお世話になる事になるだろう。私は今、現在腰・膝使いすぎると痛く座って休めば治るし、この間転んでしまった時も薬のお陰で何もなかった。転ばない様に注意している。

「絵描き」である事でその話題で。待合室のメインの壁を空けて下さり、私の「絵」を取り替え掛けさせて頂いている。今回はSMの「苺」を持参。私などの絵、大切に思って下さるのは有難い。掛ける所が高いので重い物より、小さい絵が良いと思う。
その様に大事に思って下さるので絵に似合った良い額を付けたい。ミニアチュール2点でも良いかと思っている。
眠っている絵を見て頂けるのは嬉しい・・・。
2011年12月16日
姑より伝承の岡山風我が家のぶり雑煮。50年近く、3が日ずっと毎日作って来たが家族、又嫁、孫たちが増え・・・・。五種の野菜切りそれぞれを茹でぶりのおつゆに入れる、人数が多ければ段取り、大変。最近、2~3年は主人に野菜切りを手伝って貰う事に。皆、美味しいとの事で今回は嫁にレシピをファックスして、もうお願い。
70才を機にリタイアすることにした。おせちも有頭エビの姑風の手作りを望む主人。
お雑煮もおせちも2人分だけは作る、独身息子もやって来るかも?
とにかく、おばあちゃん伝来のお雑煮は毎年、「これを食べないと正月が来た気がしない」と言う息子達なのである。立ちっぱなしの家事はもうきつい。ご勘弁を!!
2011年12月05日
「人物画を描く会」、初代のモデルさんが「毎月、出来る」と言われたので発想。今迄の絵のサークルの仲間、電話で絵の知人に、マンションの各ロビーに、ポスターを張り、私は人物を勉強したい一念でした。十人位集会室に集まって描きました。私の始めごろの作品はひどい物でした。先生にアドバイス頂きました。
モデルさん、次々にお願いし八人の方々・・・が。

三年程前、今のモデルさんにお願いし、就活で出来ない時もありましたが私達の希望で又この、九月からお願いしました。お人柄、気立て、お姿共に愛らしく、三年前よりズット大人のお嬢さんになられ、春には社会人になられます。今、描きに来られる三人のうち私がメールでモデルさんの段取り、会計とお茶の段取りをして下さる方、男性は椅子、机等運んで下さいます。
ポーズをとって下さるモデルさん、私達は一生懸命です。二〇分のお茶の休憩はリラックス・タイム。今回は立ちポーズでお願いしました。もう、一回あります。
来春、モデルさんが終わったらもう、モデル探しはやめ、自由に活動して見たいと思います。先生にアドバイス頂いた事、感謝致しております。
2011年12月03日
永い間お世話になっている歯科医院にお口のケアに伺いました。そのたびに私は奇麗な洗面室の小部屋に、SMの絵を掛け替えてきます。「秋の果実」だったのですが今度は「ガラス皿に枯れあじさい」で。雪の中から友人が採ってきてくれた枯れあじさい、冬向きの絵です。

この歯科医院は治療後、ケアをキチンとご指導下さり、2~3カ月にごとにチェックをして頂きます。大型テレビに歯科用のパソコンを取り込み、私たちの口の中の写真を何枚か撮り、直ぐにアップ、前の写真と並べて説明をして下さいます。お陰さまで私は現在は治療の必要はなく女性歯科衛生士さんが庭の緑が見える個室でケアをして説明もされ、家庭での手入れ方法等、質問にも答えて下さいます。全治療台に設置され、院長先生のご希望だったそうです。。

歯の治療に使う小さな物達をモノクロで描かれたミニアチュール。4~5センチ角位の絵が額に入って診療台の前に掛っているのが印象的でした。

2011年12月02日
12月に入り、急に寒くなった。ふろ上がり、温度差に体調を崩す事があった主人は
どてらを出してくれと・・・。ガウンを買うと言う私に「どてら」が良いと。


このどてら、祖母が新居の我が家へ来た時、頂きものの反物を切っておいてくれたのだ。
しかし、毛の厚手
な布なので縫わず、そのまま仕舞い込み、物持ちの良い私はブラジル迄持って行き持って帰り箪笥の肥やしにしていた。10年位前だったか、姉が我が家に来てくれた時、
「縫ってくれない?」と言ったら、持ち帰り完成させてくれた。

私と年ごの姉は幼児期別に育ったせいか、積極的で自立した生き方をする。
学生時代は船でアメリカ留学をはたし結婚後、ニューヨークに住み、後は、英語教師。
家庭にしがみつき絵ばかり描いている私とは全く違う。その姉色々な事にチャレンジして
和裁をやり、お洒落に和服を着こなしたりして・・・。自称、女優業??・・・。と称してシル
バーでテレビに時々、顔を出すらしい。育った性格はいくつになっても変わりませんが・・・!!しばらく、ご無沙汰しているが・・・・。
2011年11月24日
私は叔母が大好きです。親世代で只一人元気でいてくれる叔父の連れ合いの叔母。彼女は子供がないので私達には良くしてくれた。きっと、絵を描く者同志私が特に気が合うと思う。先日の電話で気の弱い事を言っていたが、気の許せる私だからかと。
立派な後継の医者夫妻のサポートのもとに生活しているのだが。
私には絵を描く者として本音の弱みが言えるのか?
私は若い頃から随分世話になった。

叔父没後、4年半前、叔母の企画で田舎の古い自宅で叔父の洋画と叔母の日本画の二人展、皆さまのお助けもあり、成功させました。

何かにつけお洒落な服を送ってくれたり、又サイズが同じなのでお腹回りのユッタリのお古も。彼女のセンス私は喜んで頂く。

いらないと言うが、ちょっとひつこいかも知れないが「日展」の画集を送ろうと買ってきた。何時までも絵のお喋りがしたいと思う。
2011年11月05日
私が四才の時、父の後添えとして嫁いできた母は「おばあちゃん、ピッタリでいた」私にはソット、優しい母でした。父の仕事のため私は一緒に住む事が少なかったのですが、やっと大阪郊外で家族七人大家族で暮らせるようになりました。所が、何年かして父が亡くなり、母は重役夫人から、一変、二人の幼い弟達を育てるため、働く女性にならなければならなかったのです。
未亡人だからと化粧もやめ地味な服に変え生きたのでした。
その後、田中千代先生の学校で、正式に洋裁を学び千代先生のご配慮で女子寮の舎監として子連れで住み込み学生さんの、お世話をしました。

子供が思春期になったからと岡山へ帰り親族の関連の、会社の保育園の園長として毎朝、バスで通い頑張ったのです。母の妹の方の助けを頂きました。

定年後は90才過ぎで亡くなる迄、岡山の山の下の家でユックリ暮らしていました。
私共夫婦が毎年秋訪ねて行くのを楽しみにして、一緒にゆっくり墓参りに行きました。それを楽しみにしていました。
実直で、まじめに生きた母でした。私には微笑みの母、優しい母でした。
2011年11月02日



100年前の11月3日は実の父の生まれた日です。私が12才のときに早死にをしましたが、私の頭には42歳のその姿のままに思い出されます。
私達姉妹が嫁に出るまで裕福とは言えませんが、何不自由もなく、祖母のお陰で教育もされ
幸せな結婚に至りました。祖母は自慢の息子の早世を何時も悔やんでいました。

「私は世間を知らない。」という主人ですが、子育てに苦労もし、現在は「絵」を描く事を中心の今、その関係の方がたとのお付き合いお話することがとても楽しいと思います。


午後は東光会の先生の個展に行ってきました。先生の風景画が、水彩と油彩で40数点、見事に並びやわらかい色合いで素晴らしかったです。優しい先生なのでつい私は親しげな話をしてしまう。何時もの事乍ら、失礼しました。
その足で親しいギャラリーへ寄り、オーナーとも話してきました。

私は銀座でこの二つの画廊が自分もさせて頂いて、なんだか故郷の様に思います。
今日はお久しぶりでした。

2011年10月31日
小学3年生の男子孫が絵画出品、入選したとか入賞したとか・・・とママから喜びのメールがありました。
彼は余り元気すぎて、以前うちで絵を描かせたところ、黒で乱暴に塗りたくってしまったので私はやめてしまいました。
ママによれば何時もは色塗りで失敗したり、ふざけてしまうので、今年は彼の意志でコンクールに出す積りで下書きからそれはそれは丁寧に、描いたのだそうです。
課題は教科書にあるお話だそうです。
彼の成長を嬉しく思います。本人もとても喜んでいるとのこと。

彼も、一つの事に何にでも取り組む姿勢、学んだと思います。


千葉県立美術館で月末、展示されるとのこと、一緒に見に行ってみたいです。
2011年10月28日
久しぶりに隣町のショッピングセンターへ行ってきました。ボツボツ、年賀状の段取りをと20年位、お願いしている印刷屋さんへ。店長氏は毎年現れる女と解って又、相談にのって下さいました。今迄、モノクロで印刷、手塗りでやってきましたが、今年はカラー印刷をと・・・。聞いてみると大した値段アップではなく、私の絵の良しあしが決め手の様です。
今年はどんな年賀状が出来るでしょうか??毎年主人の筆字の「謹賀新年」が横に付くのです。

以前、先生からのアドバイス「限られたエネルギーを自分のために大切に使うべきです。楽しく描けることが一番の幸せです。」と・・・。今の私にピッタリの助言です。

月末は「人物画を描く会」でモデルさんが来てくれます。11月も2回あります。

帰りにパンジーと球根を買ってきました。又、カットのモチーフになると良いです。

2011年10月14日



私は11月で古稀をむかえます。現在の暮らしは、絵を描く事と、自分のサイトを時々見る事です。 (二人分の家事は手抜きが多い)
これも、私の人生を考えると今が一番、充実した好きな事をして暮しています。何時までも、元気でこの時間が長く続くことを願うのです。

私は祖母に育てられたせいか人と争うことが苦手で内気で、良くして下さる方には頼っていくといった生き方をしてきたと思うのです。(今は少し違うかな??)
私が親しみ、甘え育だててくれた祖母。私が生まれる前に亡くなった祖父が描き残した「日本画」(掛け軸等)を大切に大事にして、誇りに思っていた祖母。(我が家にも2本頂いている。)
そういう祖母に育てられ「私も絵が好き」という事を大事にしてくれたと思う。
そのお陰で私はただ一つ自信を持つ事が出来て育った・・・・。「ゆりは絵が好きじゃなあ。」と、そういう言葉は幼な子に自信を持たせてくれた、と思う。


現在は主人、息子達、私のまわりの人のお陰で「絵の生活」があることを忘れてはならない。
先生との出会いでご指導頂ける事は一番、大きな事です。この歳になり祖母に感謝するのです。
2011年08月28日
週末なのでボツボツと思っていたら、・・・一昨日私が試しにメールに添付して送って見たのが、最後良く解らなく長四角の欄が出ていくら消しても消えない・・・?是は失敗!!と諦めていました。ところが、昨夕「ニンニク」がポコ!、嬉しいより驚きでした。海外から、嫁が出してくれたのです。うちは娘がいなくて良かったと常づね思っていたのですが嫁達はパソコン、特に私のホームページに関して相談、サポート等、教えてくれる。(忙しくたまにしか家へは来ないが、)私は彼女たちに絵の話を常々するがチャンと聞いてくれる。孫の世話も時々しかしないが、個展のときはお世話になった。
この様に間をあけたお嫁さん達との付き合い忙しい息子たちとのつなぎ役、こういうのが私は好き。これは主人が絵を理解,奨めてくれた我が家の家風だからかも知れない。
女の人生は家事、のみで終わってしまうのは残念だと思う。
孫たちに手がかからなくなったら、家庭の傍らに自分の世界を持って欲しいと思う。
2011年08月12日
高齢になられた主人の両親を私共の近くにお迎えしてお世話した時期がありました。昼間私と三人でこのあたりを散歩したり結構楽しかった日々でした。夜は主人が仕事帰り両親宅でお世話し、朝交代、という日々でした。散歩に誘うと生き生きとされ私は杖をつく散歩中の父の写真を撮り、80号で描きました。研究所でお世話になっていた故人の
先生は「おもしろいものを描くなあ」と。
その作品は良くはないのですが私としてはその時の精一杯なものでした。先生に会う前、介護の合間、人に両親をお願いして研究所に行きました。父が大層喜んでくれた思い出があります。
先生にご指導頂き現在は描いております。年を重ねましたが
未だ描いて行けそうです。

お世話して気ごころ知れた主人の兄弟の方々、お盆には恒例、我が家へ来て下さり読経をお願いした後、賑やかに過ごして頂きます。今年は長男と孫が加わります。
父、主人、長男・・・ 
何故か、ブラジル赴任を3代務めた不思議な家族です。
2011年07月19日

既に、「絵とつれづれに」でお目にかけました「鏡の中の私」F30号。美術雑誌「美術の窓」8月号、7月20日発売開始、書店にあります。、公募展便り(東光展)  私は193ページに掲載されています。この欄は、5月末から7月初めの公募展を取材され、作品を載せてくださいます。私のは、受賞作品でもないのに取り上げて下さり、お世話になっている女性アートコレクターの方からは、おほめのお言葉を頂きました。  誌上では、

「絵筆を持つ女性が鏡の中に映っている。透明な空気感のなかに色彩が純粋に扱われる。澄明な雰囲気が魅力である。」としてありました。

有難うございます。来年は100号、頑張ります。

大作で人物画を描いていく最初、先生はまず、自画像から、すすめてくださりほかにも鏡でF50号、F100号2点、描きました。先生は人物画は必ず、モデルを立てる事をおっしゃり、地元でモデルさんを探し座って頂き数人で人物画の勉強会を、3年ほどしました。



2011年06月20日
医者で絵描きであった叔父は
絵が好きと言う共通の気ごころで、
私を幼い頃から可愛がってくれました。

模索しながら、中央の色々な会に出品しておりましたが、
後には、岡山で、小品を中心に、個展やグループ展で活躍しました。
写実画、抽象画、超リアリズム、
晩年には、音楽家等の顔のカリカチエ等、楽しい絵を描きました。

「夫婦」F20 1992

「鏡」F30 1950 日展入選

「獺祭図」F20 1994

医師の仕事の他に、クラシック音楽を愛し、
趣味に陶芸をし、芸術に染まった生涯を送りました。

子供がない叔父、叔母にとても、世話になりました。
私が高校の美術部に入った時、
叔父は油絵の道具一式、プレゼントしてくれ
叔父の友人で、自由美術の先生の所へ連れて行ってくれました。
それが、私の油絵の始まりでした。
叔父にかなり、影響を受け育ちました。
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